今日も8時間睡眠
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野次は立場の非対称性を利用した卑怯な手段

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セクハラ野次問題の解説記事の解説 | 今日も8時間睡眠」という記事を昨日書きましたが、僕は、セクハラ野次以前に、そもそも野次自体が問題だとも思っています。多くの人が野次のことを不愉快に感じているというのに、なぜ議員があんなに野次るのか理解できません。

野次を不愉快に感じるのは、そもそもその行為自体が見苦しいという点があります。また、野次のせいで議論が進まなくなってしまうという点もあります。いや、むしろ議論を進めさせないために野次を飛ばすんでしょうけど、それは議論を放棄しているだけであり、議員のやることではありません。そして、一番不愉快に感じる原因は、野次が立場の非対称性を利用した卑怯な手段だという点です。

前に出て自分の意見や主張を述べている人は、途中ですべてをほっぽりだしてそこから逃げることは難しい。そのため、野次を飛ばされると、それに反応するか無視するかくらいしか選択肢がありません。もし反応すれば、せっかくの自分の主張タイムが減ってしまうし、主張の内容もボケる。無視すれば、野次はさらに過激になったりするし、ストレスもたまる。結局、前に出ている人が損をする状況にしかならない。

一方で、野次る方は、今回のように誰が野次ったかうやむやにできる。今回は野次った本人が特定されるかもしれないけど、普通は特定されない。だから、自分の発言に責任を負わなくてもよく、好き勝手野次ることができる。

片方は確実に損をこうむる、もう片方はノーリスクでやりたい放題。こういう状況になるので、野次は卑怯だと思います。

似たような話ですが、ネット上の議論もよくこういう状況になっているなぁと感じます。議論する気なんてもともとなく、ただ野次を飛ばしてくるような人たちですね。無視すれば「あいつは都合の悪いことは無視する」とか言えるし、反応すれば別の野次を飛ばしてくる、と。100%確証のある事実をもとに、揚げ足の取られない完ぺきな文章で、誤解なく文章を書くなんて不可能です。確実に野次れて卑怯だと思います。

まぁ、そういう人は、今回のように、自分の発言が取りざたされると、逃げ回るんでしょうけど。

(888文字)