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コミュニティが長生きするには、どう入れ替えていくかが大事

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古参Twitter女子に聞く! 初期のTwitterって今とどう違ったの? - トゥギャッチ」を読んだんですが、小野ほりでいさんのこのシリーズはおもしろいですね。ネットで話題になっていることや問題になってることを、ばさばさ切っていくのですが、身も蓋もない感じが毎回すばらしいです。

今回は、「昔のTwitterはよかった、それに比べて今は…」という意見を切っています。

幼いころ、父が言っていました。世界がつまらないとき、つまらないのは自分だと。 だから、つまらない原因が自分にあると考えもせずに不平不満を言うような人間にだけは絶対なるな。 そういう人間は一生何もしないのだから…。 「昔はこうだった」と美化されて凝り固まった理想を語りながら、そのために行動は起こさず不満ばかり言う老害…。 「初期のツイッターにはなかったもの」ってそれじゃないですか?

もはやこれは、Twitterに限った話じゃないですよね。

ネットサービスに限らず、スポーツも音楽も、ある程度人数が集まってきたらこうなりがちです。会社だってそうです。「創業して間もない頃はみんながむしゃらに頑張って輝いてた、しかし今の新人は熱意がない、リスクをとらない、それに…」みたいな感じ。

こういった傾向は、日本人の村意識に起因する日本特有のものなのか、それとも外国でも似たようなことがあるのかは、詳しく知りません。しかし、身のまわりではよく聞く話です。昔からいる人が偉い、正しいという考え方。新参者が自発的にこう考えるならともかく、古株が新参者にこの考え方を強制するコミュニティは長続きしないでしょう。今となっては確認のしようがない「過去の栄光」を引き合いに出せば、新参者は太刀打ちできず、まともに議論しようという気持ちがなくなってしまいます。

新参者がそのコミュニティに入ろうという意欲があるうちは、なんとかなります。しかし、上のような古株の態度はその意欲をどんどん奪っていくし、一度離れ出せばすぐに失速してしまうでしょう。コミュニティが長生きするには、どう大きくするかよりも、どう入れ替えていくかが大事じゃないかなぁと思います。

(888文字)