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「結果的にこうなる」と「結果をこうする」

「評価しにくいけど評価したい」というものが、世の中にはあります。ただ、評価しづらいけど、「その結果起こること」なら評価できる、ということもあります。

例えば、女性の社会進出。「女性がちゃんと社会進出できているか」は、内容がぽわんとして抽象的なので評価しにくい。なので、女性大臣の数を増やすとか、女性役員の数を増やすとか、そういうのが目的になります。女性の社会進出が進めば、これらの数値は上がるはずだ、という理屈ですね。社会進出度というのは測りにくいけど、大臣数や役員数は数えるだけなので評価しやすい。

このように、「直接評価をするのは難しいから、『その結果起こること』で評価しよう」という話は、よくあります。でもこの場合、「結果だけで評価されるんだったら、結果を作りに行けばいいよね」となりがちなんですよね。

先ほどの例でいえば、女性大臣や女性役員の数が目標になったとたんに、「とりあえず女性を採用すればいっか」みたいな安直な策がとられやすくなります。女性を活用してなくても組織外からはわかりませんが、女性役員の数などは外からでも簡単にわかりますからね。協力姿勢を示すため(≒怒られないため)にも、とりあえず数値目標だけは達成しておこう、となる。で、結果的に、男性の適任者が他にいたとしても、その適任者より能力が低い別の女性が登用される、みたいな悲劇が起こってしまう。

もともと、ポストと性別には関係はないはずなんですよね。能力のある人や貢献度の高い人が評価されるべきです。そして、もしそうなれば、確率的には、大臣や役員の男女比は、組織内人口の比率に近づいていくはずなんですよね。その過程を無視して人数を目標にされると、「社員をどう評価するか」という長期的な視野が必要とされる問題がないがしろにされて、安直な問題解決に走っちゃいます。

「結果的にこうなる」ということを用いて評価体系を作ると、「結果をこうする」という戦略がとられるかもしれない。評価体系を作る人は、このことを念頭に置かないといけませんね。でないと、目標は達成されたけど、実態が伴っていない、ということになってしまいます。

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