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徒然草 第百二十七段について

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ネットを徘徊していて偶然見つけたんですが、吉田兼好の徒然草の第百二十七段にこういう言葉があります。

改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。

これを現代語訳したページを見つけたんですが、ちょっと意訳が過ぎると思うんですよね。

直してもどうにもならないものは、ぶっ壊した方がよい。 徒然草 第百二十七段 - 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)

この訳で検索するとこれを引用しているページがたくさん出てきます。かなり広まってますね。

「改める」というのは、変えるとか新しくするなどという意味で、「益無き事」というのは、利益がないこと、役に立たないこと、無駄なことなどという意味です。「改めぬをよしとする」というのは、「変えないことを良いとする」ということです。あわせると、元の文は、「変えてもメリットのないことは、変えない方がいいよね」くらいの意味です。上の訳にある「どうにもならない」や「ぶっ壊した方が」というのは、本来とは別の意味が入り過ぎているように思います。

世間では、「改革!」とか「イノベーション!」という言葉がよく使われています(英語にしただけだが)。現状に不満があり、もっと素敵な未来を望んでいるのであれば、何かを変えたくなるという気持ちはわかります。しかし、変えるにはエネルギーがいるし、変化の影響があらわれるまで待たなくちゃいけないし、そもそも「変えたから現状がよくなる」という保証もありません。悪くなる可能性だってあります。また、「変えること」自体が目的化してしまっている場合には、改革の徒労感しか生まれないこともあるでしょう。

上の徒然草の言葉がどういう背景のもとで生まれた言葉なのか、詳しくは知りません。しかし、これは単に「現状維持を選ぼう」という意味ではないと僕は思います。つまり、変えるかどうかを問題にしているのではなくて、「メリットのある改革なのかどうか」を問題にしたいということなんじゃないかと。「現状から何かを変えてメリットがあるなら変えればいいし、メリットがないなら無理して変えなくてもいいよね」ということを言ってるんじゃないか、と個人的には感じますね。

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