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追いつめて追いつめてもつかめないものばかりさ

頻繁に人を追い詰める人は、「追いつめられた人間が、いつか感情を爆発させる」ことに気付いていない。不思議だ。

論理的であれ、感情的であれ、追いつめられた人にはストレスがたまる。反論してこないことをいいことに追いつめ続けると、追いつめられる方のストレスはどんどん溜まっていく。そして、地震のように大きく爆発する日が来る。

どっちを向いて爆発するかはわからない。追いつめられた人自身に向けば鬱や自殺とかになるだろうし、モノにあたる場合もあるだろうし、自分よりもさらに弱い人に向けられることもある。そしてもちろん、追いつめた人に向けられることもある。恨まれたり刺されたり殺されたりすることだってあるだろう。

でもなぜか、追いつめる人は、「追いつめ続けても大丈夫」と考えがちだ。「現在がこれからも続く」と考えてしまうことは一般的によくあるので、気持ちはわかる。だけど、人間のストレス許容度は無限じゃない。「追いつめられて爆発するようなヤツが悪い」という理論もあるけど、殺されたりでもしたらそんなこと言ってられないよね。

「追いつめてる」認識がないというパターンもある。理不尽なことは人を追い詰めがちだけれども、別に合理的なら人を追い詰めないということはない。正論が人を追い詰めることもある。特に頭のいい人なら、正論の方が追いつめられる度合いが強まる。正論の正しさを理解し、自分をより縛ってしまうから。「正論だから追いつめてない」という考えは正しくない。

「べき論」は人を縛るだけで良いことがないから辞めよう - GoTheDistance

上の記事は「べき論は辞めよう」って話。僕は「辞めよう」までは思わないけど、べき論は人を追い詰めるので使いすぎるのはよくないし、べき論だけで物事を構成していくのはダメだと思う。

追いつめられた人に必要なのは逃げ道だ。「問題の解決策」という正統派の逃げ道もあるし、「ギャバクラで現実逃避」という邪道な逃げ道もある。「べき論」に対しては、「落とし所」という道が必要だろう。

追いつめるだけでは、何も解決しない。問題は放置されたままだし、ストレスはたまる。生産性がない。

(888文字)