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手順の複雑さと主観性

「ものごとが複雑かどうか」というのは、客観的に判断できるものばかりだと思っていたけれど、最近は、結構主観的なものもあるかもしれないと思うようになってきた。

複雑というのは、いろんなものが絡み合ってる状態を言う。例えば、東京の地下鉄路線図を見ると、たくさん路線があって、しかも絡み合っているので、とても複雑。逆に、京都の地下鉄路線図を見てみると、路線の数も少ないし、ほとんど絡み合ってないので複雑ではない。このように、普通は、複雑かどうかは、見た目で判断できる。

こうした見た目で判断できる複雑さは、客観的に判断できるかもしれないけど、「手順の複雑さ」については、主観的な要素が強いんじゃないかと思う。

前にNHKのテレビ番組「ピタゴラスイッチ」で、ハンガーを作る機械の映像が流れていた。針金を折り曲げたり、ぐるぐるねじったりする作業を自動でやるんだけど、折り曲げる角度やねじり方をまじめに対応しようとしたら、人間にとっては複雑な手順になると思う。しかし、機械からしてみると、ずっと同じ作業の繰り返しだし、何も判断することはないし、複雑ではないんだろう。ミスることだってない。

一方、お湯を入れて3分でできるカップラーメンは、人間にとっては複雑ではない。しかし、例えばロボットに作らせるとなると、なかなか複雑になる。お湯とは何度なのか、3分とはお湯を入れ始めてからなのかふたを閉めてからなのか、そもそもふたを開けるとは言っていないのにどうやってお湯を入れるのか、とか。判断することや挫折ポイントがたくさんある。

人間と機械の比較で書いてみたけれど、人間の話にしても同じだ。「この処理は複雑すぎてできない」と僕が思っていることを、別の人がさくっとやっちゃうこともあるし、その逆もある。

手順の複雑さは、目に見えづらいので判断しにくい。また、その手順にどこまで対応できるかは、その人の処理能力によって変わってくる。だから、主観的になるのだと思う。「この手順は複雑だ」と他の人が言っていても自分にとっては当てはまらないかもしれないし、全く同じ理由で「簡単にできるよ」というのも安易に信用できない。

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