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「いつ諦めるか」を考える方法こそ学ぶべきでは?

🌻

これを読みました。

武井壮「プロの収入や待遇を知らずに中高大の10年間をスポーツに費やす無計画はダメ」と持論 - The Huffington Post

うーん、どうだろう。そんな無計画な人いるだろうか。

僕は大学で数学を専攻していたけど、大学に残って数学の道に進んでいく厳しさとか、給料はどれくらいとか、だいたいわかってたけどなぁ。スポーツの世界でも、プロになったらどうなるか、トップクラスに行くにはどれだけ大変か、報酬はどのくらいか、っていうのは、雑誌やテレビを見てればだいたい想像はつくと思います。特に、スポーツなら専門雑誌も多いし、トップクラス=最終的な場所の話は耳に入るんじゃないかな。「思ってたのと違う!」というケースはあると思うけどね。

むしろ、厳しさは知ってるけど、「ずっとやってきたから後にはひけない、俺にはこのスポーツをやる以外ない」となっているケースの方が多いんじゃないかな。「努力をすれば夢はかなう」というようなきれいごとで現実を覆い隠して、手遅れになるまで突き進む、という。

もちろん、トップクラスに行くためには、努力が必要です。問題は「努力をいつまで続けるか」ということです。「いつ損切りするか」という問題には、いつか答えを出さないといけません。答えを出さないのはある意味楽ですが、「手遅れになるまで続ける」という答えは、損失を大きくしてしまう可能性があります。

僕は数学が好きで、「ずっと数学をやっていくぞ」と思って大学に進んだんだけど、「おっと、自分の実力ではやっていけなさそうだぞ」と思いなおして舵を切ったんですよね。ただ、普通は「好き」なものには、判断にバイアスはかかると思います。「好きだから続けたい」というバイアスが。

「プロの収入や待遇を知るべき」というよりも、「どこまで頑張るか、いつ諦めるか」を考える方法こそ学ぶべきだと思います。スポーツにおいては、練習方法の中で精神論が出てくることがあるけど、将来の決め方にまで「夢」や「努力」という言葉を出して精神論で語るのはすごく危険です。為末大の「諦める力」の方が、より知っておくべき内容だと思います。

(888文字)