今日も8時間睡眠
888文字のブログです

「最初からそう言ってくれれば」について

🏅

勉強したり、仕事をしたり、スポーツをしたりする場面で、「説明を聞いても、よくわからないな」ということはあります。誰に聞いても似たような説明で、そのため、誰に聞いてもよくわからない。

ところがある日、今までとまるで違う説明に出会って、わからなかったことが急にわかるようになったり、できなかったことが急にできるようになることがあります。こんなとき、「最初からそう言ってくれればよかったのに」と思いがちです。僕自身も、こう思った経験があります。

しかし、最初からそう言ってくれていたら、本当に理解できていたか、できるようになっていたか、というと、ちょっと自信がありません。ひょっとしたら、最初からそう言われていたとしても、やはりダメだったかもしれません。

というのも、わからないものに出会ってから、「わからないなー、わからないなー」と悩んでいた時間こそが重要だったかもしれないからです。

頭を使って考えながら、知らないうちに問題や課題に慣れ親しんでいく。「どこの部分までわかっていて、どのあたりからぼやっとしているか」という境目がはっきりしてくる。中身はよくわからないけど、それを使って形式的に問題を解くことができるようになる。こういう準備があったから、新しい説明に出会ったときに、それが突破口になり得た、そういう可能性もあるんじゃないかと。

学校で勉強していたときはわからなかったことが、大人になってもう一度やり直してみると、案外すぐにわかってしまうこともあります。これは、説明がよかったというよりも、理解するための他のツール、つまり、似た例であるとか、同じ構造を持った別のものであるとか、別の機会で目にした具体例であるとか、時間をかけてそういうツールを獲得してきたことがカギになっていることもあるよなぁ、と思います。

ただ、逆に、時間がたつことで、興味がなくなってしまうこともあります。その結果、わからないものが、よりわからなくなることもあるでしょう。ただ時間をおけばいいというものではなくて、長い時間をかけて悩み続けていないと、素晴らしい説明によって目の前に光がさすこともないと思います。

(888文字)