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宿題は何のためにやるか、何のために出すか

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昨日書いた「彼らが本気で夏休みの宿題をするときは、」という記事の中で、「宿題を出す方も出される側のことを考慮してくれ」って書いたけど、これは本当にそう思いますね。宿題の意味をちゃんと考えて出してるのか、と疑問に思うことも多いです。

普通、勉強というのはインプットとアウトプットがあって、授業はインプットが多いじゃないですか。新しいことを聞いて、頭に入れる、理解する。もちろん、授業の中でアウトプットをする時間もありますが、両方を授業の中でしっかりやるには時間がかかり過ぎてしまいます。効率的にやったとしても内容は薄くなってしまいがちだし、生徒によってかかる時間も変わってきます。

宿題は、インプットとアウトプットを補完するためのものとして存在すると思うんですよね。例えば、漢字とか英単語とかは、一つ一つ説明を聞くようなものじゃないし、授業中に全部を覚えるってできないじゃないですか。なので、家で暗記してきてね、って宿題を出すのは良いと思うんですよね。また、学校で習ったことがちゃんと身についているか、応用できるかを確認するためのプリント類も、宿題としては良いと思うんですよ。

でも、なんだかわけもわからずに、大量に宿題を出す人とかいるじゃないですか。同じ漢字をいっぱい書けとか、同じような計算を何度もやれ、といった宿題を出す人もいます。宿題って、別に罰ゲームじゃないですよね。自主性に任せすぎるとサボるという理屈はわかるけど、苦行をさせる必要性はありません。

また、読書感想文とか自由研究のような宿題は、夏休みの宿題としても定番ですが、それは先生が出す宿題としては毎年の定番なだけであって、子どもからすると初めてやるタイプの宿題じゃないですか。どうやって課題を見つけるかとか、どうやって取り組むか、どうやって進めるか、っていうのを、手取り足取りやんないと、これもまた別のタイプの苦行になってしまうと思います。

宿題は目的をもって課した方がいいと思うし、その目的の達成のために、どうやって出すかもよく考える必要があるでしょう。宿題の出し方は、先生のセンスが問われているところだと思います。

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