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「人を傷つけていることに鈍感である」

🐻

年が明けてからしばらくの間、ネットでは、傷ついた人たちの声が飛び交っていた。

年末年始、実家に帰れば、普段はあまり交流のないようなタイプの人たちとも会う機会が増える。自分が地元に帰ることによって、若者対老人、男対女、独身対既婚者、地方対都会、いろいろな対立軸でその集団が分かれてしまうこともある。時には、家族や親戚や地元の友人などが逆サイドにいて、彼らから攻撃を食らうこともある。その攻撃が、意図したものであるかどうかは、わからないけど。

ネットにも、対立する集団はある。しかし、自分のまわりに限れば、似た集団で構成されていることは多い。彼らは「こんなにひどいことを言われた」と、自分のまわりに傷を見せることができる。地元では自分が少数派だったとしても、ネット上の自分の活動範囲内で多数派であれば、自分の痛みを分かってくれる。

彼らの話を読んでいると、「こちらの事情に詳しくないのに、よくそんな批判やアドバイスができるなぁ」とか「プライベートだから隠したいと思っているのに、どうしてわざわざつっこんでくるんだろう」とか「昔は簡単にできたかもしれないけど、今それをやるのはすごく難しいのに」などと思えるものが多い。ネットでやっていれば炎上してもおかしくなさそうな発言もあるけど、炎上しないのは、ネット上でのやりとりではないからなんだろう。見えないから、問題にならない、ということだ。

彼らにひどいことを言ってくる人たちのことを見ていると、「人を傷つけていることに鈍感である」という共通パターンがあるのではないか、と思う。どの言葉にだれがどのように傷つくかなんて、すべてを予測することはできない。だから、人を傷つけないようにするなんてできない。何も言えないし、何もできなくなってしまう。だけど、「あ、ここは入っちゃいけない領域だったな」とか「これは言っちゃいけなかったかな」と踏みとどまることは、求められるのだろう。

そういえば、最近ネットで見かけた炎上案件も、この「人を傷つけていることに鈍感である」ことが原因だったように思う。なかなか難しいけど、より自覚的になっていく必要があるだろう。

(888文字)