格差があることは問題じゃないけど、格差が固定化されるのは問題だと思う
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がんばった人、うまくやった人、粘り続けた人が結果を出して成功する。成功者はその功績をたたえられ、結果を出してない人たちよりも上のステージに行ける。こういうシステムは必要だと思う。じゃないと、誰も努力しないし頑張ることもない。そんな世界はきっと破滅に向かう。なので、格差があること自体は問題とは思わない。
しかし、「一度出来上がった差がそのまま固定化され、後発組がいくら努力しても逆転できない」というシステムも、同じく破滅に向かうだろう。後から参加してきた人たちは、逆転できないことがわかると努力しなくなるだろうし、成功者は自分の地位に安住してやはり努力しなくなる。誰も何の努力もせず、世界は衰退していく。
わたしの今までの選択がすべて間違っていたと言われたら、それはその通りだ。 自業自得だとか甘えだとか言う人ももちろんいると思う。 だけど、いつの間にか、努力でどうにかなる範囲をとっくに超えた人生になっていた。 とある自活できてない非正規社員のこれまで - さらさら録
会社を辞めて今は無職だから、僕も王道ルートからは外れている。もう二度と浮上できないかもしれない。なんとかしようにも、もうなんともならないかもしれない。
格差が固定されているからだ。
格差が固定化されていることは、いろんなところで目にする。「収入の少ない家庭では教育費を増やせないため、低学歴で収入の少ない子ができやすいという連鎖」とか、「高齢の投票者が多いため、高齢者に有利な政策ばかり実施する政府」とか、「活躍していない中年正社員をくびにするのは難しいから、新卒正社員の数を減らす企業」とか。
デフレ期間に入るまでの間に何かを確保できていた人たちが、今もなお有利な地位に居続けている。この「格差が固定化されている」世界は、後発組である若者の目には、「逆転の起こらない負けゲーム」とうつっている。こんな世界では、若者に頑張れと言っても響かないし、夢だって持てないし、欲だってなくなってくる。最近の雇用や収入に関する悪いニュースは、既存のシステムにひびがどんどん入ってきて、もう限界であるということを暗示しているかのようだ。