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将来身動きが取れなくなっても、そこで人生が終わるわけではない

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前に、「現在の幸福と将来の幸福」という記事の中で、次の記事について書きました。

人生の連続性と目標設定について - わくわくパンダさん日記?

「今をどれだけ犠牲にして将来の幸福をとりに行くかは人それぞれが決めることであり、その比率は誰かに押し付けられるものではない」というような内容を紹介しました。おじさんが"若者の未来代表"な顔をして「将来の幸福のために今を犠牲にする方がいい」と言って、将来の幸福の比率を上げてこようとしてきがちだけど、現在と将来の比率をどう設定するかは、自分で考えればいい、と。

このおじさんの言うような「現在の幸福0、将来の幸福100」は、精神的に不健康だと思います。しかし、逆に「現在の幸福100、将来の幸福0」を目指すのも健全だとは思いません。最近の「今が大事、今を生きる」的なありがちなメッセージには、「現在の幸福100」を暗示しているようで、少し不安な感じがします。

例えば、ゲームは最終面をクリアしたり、ラスボスを倒せばエンディングを迎えます。しかし人生は目標を達成してもそこで死んで終わるわけじゃありません。ゲームにはゲームオーバーがあり、そこで強制終了されます。しかし、人生は「ゲームオーバーだ」と思っても、そこで死んで終わるわけじゃない。

「人生が続いていく」というのは、うれしい人にはうれしいんだけど、うれしくない人には全くうれしくない。目標を持ってがむしゃらにやってた人が目標を達成した途端、やるべきことが見つからずに途方に暮れ、虚無感に悩まされることもあるでしょう。大きな失敗をしたのでもう再浮上するのが無理だとわかれば、絶望の渦の中でもだえ苦しむかもしれません。

将来身動きが取れなくなっても、そこで人生が終わるわけではありません。 現在の幸福と将来の幸福

前の記事にこう書きましたが、この視点もとても重要だと思います。逃げ道というか、選択肢を増やしておく努力を今しておくことにより、将来の幸福をとり損ねたときでも生きていけるかもしれませんからね。まぁ、将来の選択肢を増やすのか、集中させるのかも、人それぞれの人生設計なのかもしれませんけども。

(888文字)