仕事に思い入れのない人も認めるべきでは?
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これ読みました。
京大の物理の先生が院生向けに書いたメッセージですが、一般に通じることも多く、はてブもたくさんついていました。いろいろ書きたいことはあるのですが、今日は「1.大学院生活で何を最適化するか」の部分について書いていきます。
メッセージには「人生の目標に対して大学院をどう位置づけるか、を自分で決めてください」とあり、スタンスとして次の3つが挙げられています。
スタンス[0]: 大学院時代に学籍だけ置いて別のことに専念する スタンス[1]: 研究ということには特段の思い入れはないが,修士博士の学位は取得して卒業したい スタンス[2]: 研究者になりたい
各スタンスに対して、アドバイスを与えています。僕がいいなと思ったのは、この先生が「全員スタンス2を選ぶのが当然」となっていない点です。スタンス0や1を認めている点がいいと思ったし、ここが自由な京大の雰囲気を象徴しているんだろうな、とも感じました。
一方で、企業はスタンス2しか認めない風潮があるように思います。もちろん、授業料を払っている大学院と給料をもらう企業とでは、状況が違います。なので、スタンス0を企業が認めることは無理です。しかし、スタンス1のような人、つまり、「仕事より大事なものがあり、仕事に思い入れはないが、給料をもらうためにとりあえず働く」という人も認められた方がいいのではないでしょうか。
スタンス1の人とスタンス2の人とでは待遇が違って当然です。出世やボーナスに差をつけるべきだと思います。ただ、今の働き方では、スタンス1の存在は認められず、無理やりスタンス2を目指すように仕向けられるか、排除されるかのどちらかを選択せざるをえなくなっているんじゃないかなぁと思います。しかも、スタンス2の人たちが仕事に熱心になるにつれ、新参を拒んでるのが現状ではないかなと。
例えて言うなら、大縄跳びをやっていて、はじめはゆっくりだったのに次第に加速し、今では外から入るタイミングがないほど早くなってしまった、みたいな感じです。いつか足にひっかかって総崩れになるまで止まらないのかもしれませんね。