なぜ、主語は大きくなってしまうのか
😜
テキストのタイトルとあんまり関係のないところなんだけど、これは確かにそうだなぁと思います。
年を重ねると見聞は広くなるようで、狭くもなるのです。 確かに知り合う人間や経験などのサンプル数は増えるのですが、それは母数が1億ある時に、サンプル数が10から100に増えるだけだったりするからです。 自分の中では、10が100に増えると10倍になっているので、「見聞が広まった」とか「経験が増えた」という気がするのですが、実際には同じような環境や集団の中で生きているので、見聞も経験もさして増えないものなのです。 【29】「YES女子」と「NO女子」 (3ページ目):日経ビジネスオンライン
ネットでも、最近は「主語が大きい」といって叩かれてる案件をよく見かけます。数件のサンプルから、「日本人は○○」とか「独身男性は○○」といった一般的な法則を導出してきて(≒レッテルを貼って)、主張しては炎上してしまう、というような例です。この背景に、上のようなからくりも影響してるんだと思います。
ただ、一方で、学者や記者とかでもない限り、たくさんのサンプルを集めて法則性を見出して、世に発表するなんていうのは普通はできません。個人の発言やブログで書く内容なんて、自分のまわりの数個のサンプルから結論付けていることがほとんどです。その人の偏見や特殊な環境が大きく影響したものが、主張の中に織り込まれてしまうのは自然です。
「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」というのは、ある漫画のセリフだけど、「主語が大きい」案件に対して、ネットスラング的に使われることも多いです。この言い方は少し煽り度合いが強すぎですが、間違ってはいないでしょう。個人がカバーできるサンプルなんて、所詮は数サンプルのみだ、という前提で見たり聞いたりするのがいいと思います。
また、逆に、意見を言う方、書く方としては、主張内容の主語が大きくなりすぎていないか、注意した方がいいです。特にタイトルは要注意です。世の中には、タイトルだけ読んで反応する人がわりといます。
まぁ、炎上したいなら、もちろん、逆をやればいいわけですけど。
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