絶対的な答えと相対的な答え
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「答え」には、2種類ある。どんな状況でも正しい「絶対的な答え」と、状況や人によって正しくも誤りにもなる「相対的な答え」と。
学校で扱う答えは、ほとんどが「絶対的な答え」だ。1たす1はいつだって2だし、太陽はいつだって東からのぼる。「1たす1が3になることもあるし、0.5くらいのときもあるよね」「今日は西から太陽が昇ってたね」みたいなことはない。テストでは「絶対的な答え」を問うので、その答えが正しいか正しくないかは、誰でも判断できる。小論文で自分の考えを書く場合などの例外はあるけど、「絶対的な答え」でないものを扱うケースは少ない。
しかし、学校を卒業すると、「絶対的な答え」があるケースは、逆にほとんどない。どこに就職すればいいのか、どんな人と結婚すればいいのか、どうやって子どもを育てればいいのか、どんな家に住めばいいのか、何を食べればいいのか、誰の主張が正しいのか。疑問はたくさん出てくるが、「絶対的な答え」はない。
「絶対的な答え」は楽だ。それが見つかれば、それを目標に突っ走ればいい。答えが出ずに悶々と悩んだり、苦しんだりすることも減るだろう。楽になりたい、安心したい、そういう気持ちから、「絶対的な答え」を求めたくなるのだろう。
人生のモデルケース的なものがあって、それを「絶対的な答え」だと思っていた人もいただろう。今もそう思っている人はいるだろうけど、徐々に減ってきているような気がする。「この答えなら間違いない」という神話が崩れたケースを、過去に何度も見てきたからだ。「絶対性」を信じられなくなった人たちは、後悔をしたくない、満足度を上げたい、といった気持から、より自分に適した答え、「相対的な答え」を探すようになっているように感じる。
他の人がどうやって答えにたどり着いたか、どういうことを考えていたか、というような「考えるヒント」は、まわりの人から得られるかもしれない。しかし、答えが絶対的なものでない以上、「答えそのもの」が外部から得られる可能性は低い。人それぞれ、って言っちゃうと突き放しすぎている感じが強いけど、「相対的な答え」は自分で出すしかないと思う。