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「行使する権利」のない権利

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権利というのは「行使してもいいし、行使しなくてもいい」ものだと思っていたのですが、大人になってみるとそういうものだけではなさそうなんですよね。「あなたには権利がある、しかし、必ず行使しないといけない」や「あなたには権利がある、しかし、行使することは許されない」というものもあるんですよね。これが大人の世界か。

例えば、「この飲み会は自由参加です」と言いながらほんとは強制参加というケース。「参加できる権利」が「参加しないといけない義務」になってしまっています。また、「こういう福利厚生のメニューがある」と言いながら、実際には使うことが想定されていないというケース。権利を使うことができなくなってしまっています。

これらの権利を「本当の権利」だと思って自分の意思で行使しようとすると、「あいつは空気が読めない」みたいな流れになってしまうんですよね。ひどい時には、みんなから白い目で見られてしまうこともあります。

こういう権利に関する建前は、害悪な存在でしかないです。なので、いっそ権利を剥奪されたほうがましだと思うんですよね。「この飲み会は全員参加です」とか「この福利厚生メニューはわが社にはありません」とか。余計な地雷は、リスクでしかないです。はじめから「オプションだよ」って言ってもらわないほうが、むしろ安心できるのでありがたいです。

建前権利が生まれる理由は、「こういう権利を私たちは認めてますよ」という姿勢を対外的に示すためでしょうね。「権利を認めてる俺たちは、ちゃんと仕事してる」と言うためでしょう。お役所的なところから、「こういう権利を認めないとダメですよ」という指導が入っている場合もありますね。その結果、形の上では権利を認める、しかし、実は認めたくない、だから「空気」で制圧する、ということが行われているわけですね。

このような「ルールはある、しかし、空気もある」という謎システムがめんどくさいんですよね。まぁ、そうした空気を読みつつ、地雷を避けつつ、「行使する権利」のない権利に失笑するくらいの余裕が、大人の世界を渡り歩いていくには必要ということですかね。世知辛いです。

(888文字)