「何もしなくていい」と「何もしてはいけない」
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「何もすることがない」というのは、苦痛だ。
「何もしなくていい」と言われると、はじめは楽に思えるんだけど、「何もしなくていい」が「何もしてはいけない」の意味だったらぜんぜん楽じゃない。何もしなくていい自由な時間は、自分の好きなことができるから素晴らしいのであって、何もできずにただ時間だけが過ぎるのを待つというのは、しんどい。
入院をしたことがある人はわかると思うけど、入院中は「何もしてはいけない」時間が長い。外に出れないし、自由に動き回ることも制限される。特に、退院間近ならわりと元気なので、何もできないのはとても苦痛だ。有り余るパワー、湯水のごとく使える時間。この2つを手にしながら、ベッドの上で天井を見つめて過ごすのはもったいない。もんもんとする。
僕なら、PCでもあればいくらでも乗り切ることができるだろうけど、病室に持ち込めるとは限らない。テレビが制限されているところもあるので、こうなってくると僕も乗り切れるかは不安だ。まぁ、入院したら従うしかないんだろうけど。
知人で、スキーやサーフィンなど、アウトドアの趣味だけに熱中している人がいる。その人が、ある日けがをして、しばらくの間、外に行けなくなってしまった時期があった。その人は「週末、家の中で何をしたらいいのかわからない」と悩んでいて、しんどい日々を送っていたようだ。好きなことができない状況下での「何もしなくていい」週末は、「何もしてはいけない」週末に近いのかもしれない。
「何もしてはいけない」状況下にいるときは、「何でもいいからやらせてくれ」という気持ちにすらなると思う。それがたとえ意味のないことでも、何もすることがないよりましだ、という発想になる。まわりから見ると、「どうしてこんなしょうもないことをやっているんだろう」とか「全然利益が出てないのに、なんでこんなことに力を入れてるんだろう」と思うことがあるかもしれないけど、元をたどれば「何もすることがない状況だったから」というケースも多いのではないだろうか。ただ、そうして始めたことが、新しい「好きなこと」になれたら、本人にとっては良かったと言えると思う。