問題を外側から見るのと、内側から見るのとでは、印象が大きく違う
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僕は酒も飲まないし、タバコも吸いません。だから、コンビニで買い物をしても、年齢確認ボタンを押すことは、基本的にありません。
このボタンが導入された当初は、ボタンを押す押さないで揉めて、客が店員を殴ったとかいうニュースもありました。中年や老人の場合、「成人かどうかなんて、見りゃわかるだろ」って思うのはわかるけど、殴るほどのことでもないだろう、たいした手間じゃないんだし。当時の僕は、そう思っていました。
ある日、僕はオーストラリアに行くことになりました。オーストラリアは、持ち込み基準が厳しいんですよね。例えば、タバコが持ち込める上限は、50本。1箱20本なので、実質2箱です。人によっては1日で終わってしまう本数です。
ちなみに、オーストラリアで買うと、タバコはすごく高いんですよね。そのため、オーストラリアにいるヘビースモーカーの知人から「日本でたばこを2箱買って、お土産として持ってきてほしい」と言われました。
僕は、はじめてコンビニでタバコを買おうとしました。すると、店員から「確認ボタンを押してください」と言われ、画面には「年齢確認ボタン」。
あぁ、なるほど。確かにイラッとします。ボタンを押すのが面倒か面倒じゃないか、どれだけ手間がかかる依頼なのか、そういう問題じゃないんですね、これは。
誰かのリスクを回避するために全員が負担を負う、このしょうもない対応への怒りなんです。問題が起こっている、何か対策をしないといけない、しかし抜本的な解決をするのはコストがかかる、なので全員にちょっとずつ負担を負ってもらう。社会に出ると、よく遭遇するやつ。このボタンを押す押さないでもめる事件は、こういった小手先の解決策に付き合わされることへの怒りがあらわれているのだ! (いや、そんな大げさな問題ではない)
僕はすんなりボタンを押したけれども、実際に経験してみると思っていた以上にイラッとしました。問題を外側から見るのと、内側から見るのとでは、印象が大きく違うんだな、と思いました。
タバコについては、そうだな、そんなにトラブルが多いんだったら、いっそ警察で売ればいいんじゃないかな(暴論)。