「評価されたい能力」と「評価される能力」
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長年生きてると、「これ作るの、すごく上手ですね」とか「簡単にやってそうに見えるけど、私にはできない」とか、そういうことを言われる経験ってあると思うんですよね。こっちが意図的にやってることもあるけど、まったく意識していないことでも、こうしたことを言われることはあります。例えば、このブログははじめてから丸二年たっていて、今のところ毎日更新しているんだけど、「毎日書き続けるのはすごい」って言われることがあるんですよね。中身が濃いならわかるけど、このブログみたいに中身が薄いなら毎日書けると思うんだけどなぁ。
こういう「人から評価される」ことの対極にあるのが、「こういう点で人から評価されたい、この能力を人から評価されたい」って気持ちだと思うんですよね。売れてから自分がもともとやりたかった曲を作るミュージシャンを想像するとわかりやすいと思うんだけど、「本当はこういうものを作りたかった、こういう作品を評価してほしい」っていうのはだいたい評価されないことが多いように思います。
「評価されたい能力」は自分基準であり、「評価される能力」は他人基準。ここ数年でよく耳にするようになった「好きなことを仕事にする」というのは、前者の考え方に通じるものがあると思うんだけど、個人的には後者の考え、「得意なことを仕事にする」ほうがいいと思うんですよね。
評価される・されないというのは、自分ではコントロールできない部分がたくさんあります。それを乗り越えて、評価されようと思ったら、相当な努力が必要です。しかも、実現する可能性ってすごく低いと思うんですよね。その低い可能性に賭けるよりも、すでに評価されていることがあるのならば、それを最大限生かすようにした方が、手っ取り早い気がします。
顧客が払うお金、企業が払う給料は、自分に対しての評価を表しています。生きていくにはある程度評価されないといけないんだから、その評価を上げることに集中した方がいいと思うんですよね。好きなことは好きな時間に好きなだけやって、評価されてもされなくても生きていける、というようにしないと、人生が詰んでしまうように思います。