「ある領域でのレベルの高さ」と「人間としてのレベルの高さ」
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イチロー記者会見の記事を読みました。普段野球を見ない僕にはところどころ理解できないところはあるけど、おもしろかった。
いろんな数字を残した人、偉大な数字を残した人、たくさんいますけど、その人が偉大だとは限らないですよね。偉大な人間であるとは限らない。 イチロー“ローズ超え”日米4257安打 会見全文「僕が持ってないはずない」 | Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―の5ページ目
これは確かにそう。「ある領域でのレベルの高さ」と「人間としてのレベルの高さ」は、相関はあるかもしれないけどイコールではないと思う。
でも、「優秀なスポーツ選手は、人間としても優秀のはず」と思ってる人や期待している人は多い。名前に「道」がつくスポーツは、特にその傾向が強いと思う。
スポーツをやるうえで、技術的なこと以外にも人間的に学べることはたくさんあると思う。チームワークとか、上下関係とか、自分の精神状態をコントロールする方法とか、生まれつき才能のある人間がこの世に存在することとか。僕はスポーツ経験がほとんどないのでたいして身についていないけど、やってた人はある程度理解しているとは思う。
ただ、だからと言ってみんな人間として素晴らしいわけではない。ウソをつくひとはつくし、犯罪を犯す人は犯してしまう。それはもう別の世界の話なので、一緒にしないほうがいいと思う。というか、一緒にしてはいけない。
スポーツに限らず、例えばビジネスなどでも同じことが言えると思う。経営者としての優秀さと人間としての優秀さは一致するわけではない。でも、「イコールだ」といいたがる人も多い。自分で言う場合もあるし、まわりが言う場合もある。
まわりの人があえて「あの人は偉大な結果も残していて、人間としても偉大だ」と言う場合って、それによってそう言った人が得をするケースがあると思う。注目が集められるとか、そのエピソードを書いた本が売れるとか。
本当に「人間としても素晴らしい」という場合もあるけど、そのエピソードを欲しがっている人を満足させるためだけのものになっていないかは注意したい。
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