今日も8時間睡眠
888文字のブログです

一度それ自体を目的にして没頭する

🦍

これを読んだ。

知っていてこだわらない、それがいいソフトウェアエンジニアの条件なんだと僕は思うんだ - assertInstanceOf('Engineer', $a_suenami)

プログラムは何かを実現するための手段だから、プログラマは手段のスペシャリストである、スペシャリストになるには、それを使うこと自体が目的となるくらいに没頭する経験が必要である、しかし、何かの目的を達成するために使うときには、冷静になって手段として使えるようにならないといけない、というような話。

没頭して何かを作ってみたり調べてみたりしないと、理解が中途半端なものになることが多いので、「手段のスペシャリスト」になるには、この没頭経験が必要というのは確かにそうだと思う。そして、実際の課題を解決するときにはそのテンションで立ち向かうと変な方向に行きがち、というのもよくある。

普段の仕事の中で、没頭を経験するのは難しい。没頭したものの、直接的に得られるものは小さいかもしれないし、そもそも完成にまで至らないこともある。だから、たいていはプライベートでやることになると思う。勉強しないプログラマはダメになってしまう、みたいな話をよく聞くけど、それはきっと、休みの日に、没頭して何かを学ぶ・作ることをしないといけない、ということだと僕は思っている。

上の記事の中に、手段と目的はスコープによって違ってくるものだ、という文章が出てくる。これについて、個人的には「手段と目的をはき違えている」というセリフは、「近視眼的な視点を指摘する」ために使われる場面しか記憶にない。つまり、「これは目的なんだ」と思い込んでいる人に対して、「いやいやそれは手段だよ、そこで人生が終わるわけじゃないよ、線路は続くよどこまでも」と、目覚めさせるために使うケースばかりだと思っていた。

手段としてのレベルを上げるために、一度それ自体を目的にして没頭する、という見方をまじまじと考えたことはなかった。守破離の、守がテキストを読んだだけ、破が学ぶのを目的として没頭する、離が手段として使いこなす、に対応しているようなイメージが浮かんだ。

(888文字)