「車は人より速く走っちゃダメ」という謎の法律:赤旗法について
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19世紀ごろのイギリスでは、道路は「ターンパイク・トラスト」という民間企業によって管理されていました。それ以前の道路は実質放置状態でしたが、馬車の利用が増えたことから道路をメンテナンスする必要が生まれ、この仕組みが誕生しました。
「ターンパイク」とは、もともとは料金徴収所にある遮断機のことでしたが、のちにこれが有料道路自体を指すようになりました。このことから想像できると思いますが、ターンパイク・トラストが通行料をとる代わりに、道路のメンテナンスをすることになっていました。ただ、実際には、穴だらけの道もあった上、通行料も高かった(昔はタダで通れていたのに)ため、住民は不満を抱いていました。
そんな中、鉄道の発達により、道路交通の需要が減りました。特に長距離移動は大打撃を受けました。その結果、通行料収入も減少し、道路のメンテナンスが難しくなっていきます。
やがて、蒸気自動車が登場します。道路の管理者からは「速いスピードで走る自動車は、道路を傷めるのではないか」という懸念が出てきます。修復するお金がないため、道路を傷めるものには反感を抱くようになります。
その上、騒音・煙といった公害や事故の危険性を理由に、自動車に反対する住民が増えました。また、鉄道や乗合馬車業者は、利用者がとられるかもしれないというおそれから、自動車を敵視するようになります。
これらの結果、1865年に赤旗法という法律が制定されます。これは、「郊外では時速約6キロ、市街地では時速約3キロ」「運転するときには、運転手、機関員、赤い旗を持って車両の55メートル前方を歩く者の3名が必要」という内容です。スピードを出さないことで道の劣化を防ぎ、赤旗でまわりに危険を知らせることが目的でした。
人より速く走れない自動車なんて、意味がありません。蒸気自動車の運転は、実質的に不可能となりました。一方、低速でも問題のない農耕用トラクターは普及することになりました。
赤旗法は改正をへて、約30年後の1896年に廃止されました。新技術に過剰反応した結果、イギリスの自動車産業の発達に大きな悪影響を与えることとなりました。