「わかった?」と聞くのは意味ない
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何かを説明して、最後に「わかった?」って聞くのは、意味がない。だいたい「わかった」って返ってくるから。
わかったと思っていても、わからないと思っていても、どちらにしろ「わかった」と返ってくる確率が高い。本人はわかったと思っているが実際にはわかっていなかった、という場合でも「わかった」と返ってくるし、この質問の返事だけでは本当に区別がつかない。
正直に「わからない」と答えるには、その人との間に信頼関係がないとダメ。ただ、信頼関係が築けていたとしても、「わからない」と言うことに、抵抗を感じてしまう人もいる。
それに、「ここの部分がよくわからなかった」とか「ここまではわかったけど、それ以降はついていけなくなった」というように、客観的に自分の理解度を把握できる人は少ない。この言語化ができないと、「うーん、だいたいわかった」みたいなリアクションになったりする。後でわかってなかったことが判明し、「あのとき、わかったって言ってただろう?」と責めても意味はない。当人としては、本当に「わかった」ような気になっていたのだから。
直接「わかった?」と聞くだけではなくて、「じゃあ、ちょっとこの問題を解いてみて」とか「自分でやってみて」とか「自分の言葉で説明してみて」といえば、少しは相手の理解度を判断できるようになると思う。
インプットだけで終わる学習はない。アウトプットまでできなければ意味がない。英単語を覚えていても、それが必要な場面で出てこなければ意味がないのと一緒だ。自分が何かを説明したときも、相手がインプットをしたところで終わってはいけない。アウトプットの練習までしてみて、わかったかどうかの判断をしないといけない。
逆にいえば、自分が何かを説明されたときも、自分で手を動かしてみたりしないと、本当にわかったかどうかはわからない。動画を見たり人の話を聞いたり本を読んだりした時点で終わると、わかった気になっただけで、本当は理解できていないのかもしれない。
時間もかかるしめんどくさいけれど、自分の説明が相手に理解されたかどうかを確認するには、相手のアウトプットまで待たなければいけない。