今日も8時間睡眠
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「教えること」は、知ってることを話すことではない

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「この名前を教えて」などの質問の場合は、答えを言えば終わりだ。しかし、「教えて」と言われたときに知っていることを答えるだけで終わる、ということはほとんどない。時間をかけて体系的に何かを教える場合には、特にそうだ。

まず、スタートとゴールの把握が必要になる。スタートとは、現時点での聞き手のレベルだ。事前にいくつか質問をして、現状を把握しないといけない。相手の人数が多いなど、現状把握が難しい場合でも、相手のレベルを想定することは必要だ。そして、彼らに何を知ってほしいか、何ができるようになってほしいか、というゴールの設定も必要だろう。

次に、そのパスをどう埋めていくかを考える。知っていることのうち、どれを伝えるか、という選別作業がいる。多すぎると聞いてくれなくなるし、少なすぎるとゴールにたどりつけなかったり、議論のジャンプが多くなる。また、事前準備の時間や教えられる時間も、この選別作業に影響する。

パーツを選んだら、それらをストーリーによってつなげたり、章によって分けたりする。箇条書きで書いた内容を読み上げたり、整理されてない大量の情報を渡しても、相手の記憶には残りにくい。つなぎ方や分け方は自然か。ここに違和感があると、ついていけなくなる人が増えてくる。

場合によっては、自分の理解に不安が生じることもある。理解していたつもりの部分、当然のこととして深く考えていなかった部分もあるだろう。教えようとした段階で、理解力の不足に気づき、自分でも改めて学ばないといけないケースはある。

ここまでで完成するのは、まだ当方のメモレベルだ。これを相手にどのように見せるか、形にしていかないといけない。教科書、スライド、映像、話。いろんな表現方法があるが、どの表現を選び、どう表現するかを決めていかなくてはいけない。

少なくとも、ここまでしないと、教えることはできないだろう。これらを端折っても教えられる内容があるかもしれないし、教えられる人もいるだろうけど、多くの人はこのような準備をしていると思う。知ってることを話すだけが教えることではないし、話している時間だけが教えている時間でもない。

(888文字)