ストロングゼロがどれくらいストロングか、僕は知らない
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今、ストロングゼロのことを書くとアクセスが増えると聞いたので(誤解)書いてみます。
最近、ネットを徘徊してるとストロングゼロの話をよく目にします。残念ながら、僕のリアルなまわりでは、飲んでいる人を見たことがないんだけど、ネットではよく見かけます。というか、ネットで見るときも、「ストロングゼロを飲みました」というダイレクトな話より、「ストロングゼロを飲んだ、とある人の話」とか「ストロングゼロって言いたいだけの、ぜんぜん別の話」であることがほとんどなんですけどね。
これらの話のうち、文学性の高い(?)ものは「ストロングゼロ文学」と呼ばれ出しています。ネットでよく目にするのも、どちらかというと、この「文学」のほう。ストロングゼロを飲んだときに味わう幸福感や虚無感などを書いた文章、ストロングゼロを飲んでから書いたと思われる支離滅裂な文章、ストロングゼロを織り交ぜた小説や童話のパロディ。いろいろタイプはあるけれど、僕が見た中で一番好きなネタはこれ。
100人の板前に「急須で入れた緑茶に最も近いものはどれ?」と質問し、
— はんなま (@LbEaFsTsY) 2017年12月7日
選ばれたのは、ストロングゼロでした。 #ストロングゼロ文学
もはや、質問は聞いてない。
そういうわけで、ストロングゼロが流行っているらしいんだけど、残念ながら僕はお酒が飲めない。なので、ストロングゼロがどれくらいストロングなのか、僕は知らない。飲んで確かめることはできない。ネットで観測している限り、はまってバタバタ人が倒れていっているように見えるので、かなりストロングなのだろう、と思う。さすが、「飲む福祉」「飲む貧困」と言われるだけはある。
お酒を飲めないので、結局、それがどれほどの力を持っているのかがわからない、というものは他にもある。例えば、ウコンの力。お酒を飲むまわりの人に聞くと、ウコンの力はすごいらしい。しかし、お酒が飲めない僕には、どっちサイドにすごいのかさえ、わからない。ウコンの力がどんな力なのか、僕は知ることはない。
酒の力も、酒を打ち消す力も、どちらも知らないまま死んでいくのだろう。