「孤独死が怖い」について
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「孤独死が怖い」っていう話を聞くことがありますが、個人的にはどこが怖いのか、よくわからないんですよね。死んだまま誰にも発見されないっていうのも、別に何とも思いません。死んだ後のことがどうなろうと、僕の知ったことではありません。
ただ、「本当は死ぬことはなかったのに、一人で生活していたために死んでしまう(しかも時間をかけて)」っていうのは、怖いんですよね。「孤独死が怖い」がこの意味であれば、僕も賛同です。
例えば、トイレにでも行こうかと思って立ち上がった瞬間、ギックリ腰になって、床に倒れこんだとしましょう。もう何をやっても痛すぎて動けない。携帯電話はテーブルの上で、手元にない。もう誰にも助けを呼べない。こういう状況になってしまったら、と思うと恐怖です。
ギックリ腰くらいであれば、何とかして携帯電話にたどりつけるかもしれません。でも、例えば、トイレに行ったとして、そのときに地震が来て、ドアがゆがんでしまった。携帯電話を持ってきてなかった。どうあがいても、ドアが開かない。こういう状況も恐ろしい。
「突然、心臓発作が起こって、すぐに救急車を呼んでいたら助かっていたのに」という状況も、怖いといえば怖いですが、死ぬまでの時間が短いので、まだいいです。しかし、何日も何日も、死ぬことと向き合わなくてはいけない、という状況なら話は違います。誰でもいいので、一人いてくれればすぐに助かるのに、それがないために、ずっと苦しみ続けなくてはいけない。しかも、衰弱死を待つしかない。これは怖い。
なので、どこへ行くときにも携帯電話を持ち歩くようにしています。ごみを出すとかコンビニに行くとか、近いか遠いかにかかわらず、携帯電話は手放さないようにしています。あと、家のトイレのドアはつねに開けておくようにしています(参考:地震のことを考えると、トイレのドアは閉めれないなぁ)。
突然の発作で死ぬことや、一人で死ぬこと、死んだ後にしばらく発見されないことよりも、身動きがとれなくなった状態でなかなか楽に死ねない、っていう状況が一番怖いです。そういう状況を完全に避けるようにするのは、難しいんですけどね。