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奇抜なデザインの服を着る勇気よりも、大きな勇気

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前に、電車に乗ろうとしたら、かなり奇抜なデザインの服を着ている人を、駅のホームで見たんですよ。

アシンメトリックで、なんかヒラヒラした生地が何層にも重なっている服。芸能人とかパーティーに参加してる人が着てたならまだわかるけど、その服装で街中をうろついたら目立つよね、って感じだったんですよね。

僕は「服なんて着れたら何でもいいじゃん」という思考の持ち主です。下着などの見えてはいけないものが隠れていて、暑くも寒くもない服装なら、特にこだわりはありません。「ファッションで個性表現」という発想とは程遠いところで息をしています。

ファッションに興味のない僕からすると、「ヒラヒラが何層にも重なってるから、着るのが大変そう。手や顔をどこから出すか、見つけにくそうだなぁ」とか「洗濯するのが大変そう、というかアイロンは無理じゃないか? いや、毎回クリーニングかな。特殊料金とられるんだろうなぁ」みたいな余計な方向に考えがいってしまうわけです。

東京では、奇抜なデザインの服を着ている人をよく見かけます。大きな駅の周辺では、奇抜なデザインの服を着ている人にたくさん出会います。形が変わっているもの、色が派手なもの、露出が多すぎるもの。こういった服装の人たちに出会うたびに、「奇抜なデザインの服を着るのって、勇気あるよなぁ」と思うんですよね。

しかし、ふと、「いやもっと勇気のある人がいるよな」と思ったのです。それは、「奇抜なデザインの服を作った人」。

服を売るのもビジネスですから、「誰かが買う」ことを想定しているはずなんですよね。誰のどんな需要を予測して、この奇抜なデザインの服を作ったんだろう、と。いろんな人を説得して「このデザインの服は売れるはず」とデザイナーが確信してるからこそ、作成され、市場に出回り、誰かが買って着ているわけなんですよね。

そう考えると、デザイナーの決断力というのはすごいなぁ、と思うんですよね。「奇抜なデザインの服を作った人」、どんな人かわからないけど、自分の奇抜なデザインを誰かが欲しがっていると信じて服を作るってのは、相当勇気ある行動だよなぁと、ふと考えたわけです。

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