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今日のリーガルハイスペシャルがとても楽しみな件

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2014年11月22日の今日、「リーガルハイ」のスペシャルが放送されますね。スペシャル前にやってた、連ドラ(第2期)再放送も、見るのは2回目でしたがおもしろかったです。今日は、リーガルハイスペシャルを楽しみにしながら、リーガルハイのおもしろさについて書いていきたいと思います。

普段このブログは888文字で書いていますが、今日は8888文字の超ロングバージョンです。もちろん、ネタバレもありますのでご注意を。

リーガルハイとはどんなドラマか?

人間性にかなり問題があるが、一度も負けたことがない敏腕弁護士・古美門研介(こみかどけんすけ)。真面目で正義感の強い熱血弁護士・黛真知子(まゆずみまちこ)。この2人が繰り広げる法廷コメディドラマ、それが「リーガルハイ」。

そもそも、法廷「コメディ」ドラマとはなんなんでしょう? 第1期(2012年4月~6月)の公式サイトにも「弁護士ドラマ史上、最も笑える極上のリーガルコメディ!」というキャッチフレーズがついています。しかし、弁護士ドラマに笑いを求めている人なんていたのでしょうか。

いえ、笑いこそがこのドラマのポイントなのです。ふんだんにギャグを盛り込み、パロディを盛り込み、笑い笑い笑いの渦を作り出す。そんな渦の中で、しれっと世の中の事件、人々、常識を痛快に批判する。「笑い」は緩衝剤なんです。笑いがなければ、それこそ「このドラマ自体が訴訟になりかねない」。それほどまでに、方々にケンカを売っているドラマなのです。

古美門が相手の弁護士などをバカにしてケンカを売っていますが、それはダミーです。実際にはドラマ自体が世の中にケンカを売っているのです。ケンカを売っているものの、発言内容は正論です。本質的です。普段の生活では言葉にできなかった言葉です。古美門はその正論を超超長いセリフでまくし立てる。「よくぞ言ってくれた!」という気持ちよさ。

そう、法廷で理屈をこねくり回してブロードウェイスタイルで演説する古美門研介ではなく、普段自分ではうまく言語化できなかった言葉をその演説の中に見出して快感に溺れてキマっている僕たちこそが、”ハイ”だったんです。

以下では、笑いや登場人物などについて、もう少し詳しく見ていきたいと思います。「もう分かったからいいよ」という人は、ぜひ今日の放送を見て、下のアフィリエイトリンクからDVDを買って楽しんでください、さようなら。

笑いについて

リーガルハイはパロディが多い。

スペシャルのCMでは「白い巨塔」のパロディが流れているけど、他にもドラマでは数々のパロディがあります。第一期では「犬神家の一族」のパロディが、前回のスペシャルでは「金八先生」のパロディが、第2期では「北の国から」のパロディがありました。

広末涼子が「実におもしろい」と言う、「ガリレオ」のパロディもありましたが、それはそのセリフをいうだけの短いもの。しかし、上で挙げたパロディは、わりとがっつりなパロディです。

「北の国から」のパロディでは、堺雅人が青いジャージ、新垣結衣が赤いジャージを着て、薪を運んだり、薪割りするシーンがあります。そして、そのバックには、例のぼそぼそナレーション。パロディシーンはそこで終わると見せかけて、しばらくすると広末涼子が「ルールルルルル」というシーンがあり、まさかのぶり返しです。

このように、リーガルハイに出てくるパロディは、”ちょびっとパロディ”ではなく、”がっつりなパロディ”です。笑いのためにはがっつりやるのです。

また、出演者に関係するネタも随所に出てきます。

このドラマには里美浩太郎が出ていることもあり、水戸黄門ネタがたくさん出てきます。また、第2期はちょうど「半沢直樹」が終わった直後ということもあり、そのドラマを匂わせるシーンが出てきます。例えば、堺雅人の次のセリフ。

やられてなくてもやり返す。身に覚えのない奴にもやり返す。
誰かれ構わず、八つ当たりだ!

どう考えても「やられたらやり返す、倍返しだ!」が元ネタです。

実在する人物に関連するネタもよく出てきます。

き・み・じゃ・な・い。君じゃない。

というのを、滝川クリステルの「おもてなし」の動作にあわせて言うシーンもあるし、新垣に対して「あぁあ、長澤まさみだったらなぁ」って言っちゃうシーンもあるし、外国人に対して「芸能事務所の外タレなんじゃないですか? アンビリーバボーの再現ドラマで見かけましたよ」なんて言うシーンもあったりします(しかも、ほんとに再現ドラマに出てる)。

こういう実在する人物がドラマの中に出てくるというのはあまりないんですが、もっとすごいのは、「実際の事件や時事ネタ」までパロディにしていることです。

例えば、第2期の2話では、ITベンチャーの社長で一躍脚光を浴びたがインサイダー取引などの罪で牢屋に入れられる人が出てきますが、これはどう考えても特定の人物を象徴しています。布団をバンバン叩いて隣人と問題を起こすオバサンも出てくるし、世界遺産である自分の街を守るために躍起になる住民たちも出てきます。

小ネタまで含めると、もっともっとたくさんのギャグがあります。古美門から出てくる数々の罵詈雑言(あだ名を含む)も、牢屋に入っているのにどんどんゴージャスになっていく小雪も、経験が豊富すぎる里美浩太郎も。

大きいものから小さいものまでいろんな種類のネタが盛り込まれているのですが、まとめると、そもそも法廷ドラマなのに、法律スレスレ、いや、ギリギリアウトくらいのパロディギャグをバンバン織り込んでくる、というのが最高のギャグなのです。

古美門弁護士について

さて、このドラマに盛り込まれているたくさんのギャグについて書きましたが、このドラマにおいて「笑い」はカモフラージュです。実際には、このドラマは「世の中にケンカを売るためのドラマ」です。

では、だれがケンカを売っているか。それは、弁護士・古美門研介(堺雅人)です。

古美門研介は、負けなしの敏腕弁護士であるものの、毒舌で暴言を吐きまくります。部下に対してはもちろん、相手の弁護士にも、裁判官にも、そして自分の依頼人にさえ、暴言吐きまくりです。

しかし、その暴言は、「ただの暴言」の場合もあります(特に部下の黛弁護士に対して)が、時に「意味のある暴言」というのもあります。これがこのドラマの一番の見どころ。

象徴的なのが、第1期の9話。

かつて養蚕業が栄え、美しい絹を作っていたことから「絹美」という名前がついた村。養蚕業が衰退してからは稲作に転じたものの、政府の農地改革で稲作は衰退。それ以降はこれといった産業もなく、過疎化が進み、まわりの村と合併して補助金でしのいできました。「絹美村」という名前を捨てたら、「南モンブラン市」というオシャレな名前を付けてもらえました。そんな南モンブラン市が舞台。

南モンブラン市には数年前に化学工場ができました。その工場ができてから、体調が悪くなる住民が増えました。住民たちは「その工場から出ている有害物質が原因ではないか」と考え、工場を訴えようとします。そこで頼ったのが古美門弁護士とその部下の黛弁護士。

しかし、古美門弁護士はその依頼に乗り気ではありません。いろいろ理由はあるのですが、依頼人である南モンブラン市の住民たちが「戦争とズワイガニ食べ放題付バスツアーとの区別が全くついていない」ことが理由だと黛弁護士に説明します。

後日、化学工場は住民たちとの話し合いの場をもうけます。住民たちは、化学工場から商品券を渡され、公害訴訟にしては少額である和解金の提案がされ、「今まで住民とのイベントを通じて絆を確認してきたじゃないか」という安い説得を受けます。そして、公害問題で訴えた住民たちは、化学工場からの和解提案に応じそうになります。「この世には、金よりも大事なものがある、工場の誠意は見えたし、絆も確認できた」と。

ここで、古美門の暴言。「みなさんはダニだ」と。

土を汚され、水を汚され、病に侵され、大事なものをことごとく奪われた、なのに、土も水も産業も健康も復活しない、何の効果もない「絆」が大事だと言って、大企業に寄生することを選んだあなたたちはダニだ、と。

国や大企業からゴミクズ扱いされているのに、なぜそれを受け入れるんだ、「こんなひどい仕打ちを受けている」と主張して、その場限りの労りや慰めや優しさをなぜ受け入れてしまうんだ、失ったものは取り戻せないかもしれないが、この土地に住んでいた先祖やこれからこの土地に生まれてくる子孫のために、なぜ戦わないんだ、と。

そして、金の話である。

金が全てではない? 金なんですよ。あなた方が相手に一矢報い、意気地を見せ付ける方法は、奪われたものと、踏みにじられた尊厳にふさわしい対価を勝ち取ることだけなんだ! それ以外にないんだ!

「敗戦のどん底からはいあがってきたあなたたちなら、深い傷を負う覚悟で戦うと思っていたのに、和解を受け入れるんですね、それではダニ同士傷をなめ合いながら、そのままくたばってください」そう言って古美門は立ち去ろうとするのです。

依頼人にダニだのゴミクズだのという暴言。しかし、このセリフは、ズワイガニ食べ放題付バスツアーに参加するみたいな馴れ合いの気持ちで裁判をするのではなく、住民に戦争をする気で裁判をさせるためのトリガーです。住民のスイッチをオンにするためのものです(実際、この後住民たちは裁判をする気になる)。

と同時に、「絆」への批判でもあります。

「絆」といえば、東日本大震災以降、よく使われるようになったワードであり、2011年を代表する漢字でもあります。そして、リーガルハイ第1期が放送されたのは2012年であり、震災の翌年。

「絆」という言葉は、もちろん適切に使われている場面もありますが、いつしか「見たくない現実から逃避するための美談化」としても使われるようになったのではないでしょうか。現実は甘くはない。目の前にある問題は解決しない。問題に取り組むには深い傷を負うこともあるだろう。しかし、見たくないものから逃避して馴れ合っているだけの「ダニ」ではいけないのです。見たくないものをきれいな言葉でつつんで、思考停止になっていてはいけないのです。

マスコミが流してくる美談、フェイスブックでムダにシェアされてくる美談、これらを見るたびに、どこかモヤモヤしていた気持ち。震災以降、特に強まったこのモヤモヤ感を、うまく言語化してくれたことに快感を得てしまうんですね。

そして、僕たちはだまされるんです。古美門は本当はすごくいいやつなんじゃないか、と。しかし、その数分後には、「あ、やっぱり、それはないな」と気づかされるんですね。

口をひらけば暴言。気分屋で自己中心的。依頼があればすぐに金の話。幼児性もあり、浪費家でもあり、スケベでもある。手に負えません。

それでも、上のようなセリフを聞いて、「ひょっとしたら古美門は依頼主のことを考えているのではないか、正義のために戦っているのではないか」と期待してしまう。そして、裏切られる。「期待からの裏切り」によって、このドラマは中毒性を帯びるようになるんですよね。

この「期待からの裏切り」に、視聴者と同じように振り回されている人物がいます。それが黛弁護士です。

黛弁護士について

黛真知子(新垣結衣)は、正義感が強く、困っている人を放っておけない弁護士。金にならない仕事は引き受けない古美門とはまったく違いますが、そこがこのドラマのいいところです。

まぁでもそれは当たり前です。主役が2人とも金の亡者な弁護士ならドラマになりません。いや、逆にドラマになるかもしれませんが、脂身が多すぎる肉のように、胃もたれのする厳しいドラマになってしまいます。

古美門は、金のために弁護を引き受け、勝つためなら真実を捻じ曲げてでも勝つ、というスタイルです。黛はこれに反発し、「真実が一番大事だ」と考えています。

しかし、真実は見る人によって解釈が変わりうるものです。それに真実が依頼人の利益と一致するとは限りません。また、真実を明らかにすることが関係者全員の利益になるとも限りません。特に第2期全般に渡ってストーリーが続く安藤貴和(小雪)の事件では、「真実が関係者全員を不幸にする」という設定であり、黛の思想に大きく影響するストーリーになっています。

他の弁護士ドラマでは、「真実を暴くことがゴール」というのが多いですが、このドラマはそうではありません。古美門はこう言います。

われわれは神ではない。ただの弁護士だ。真実が何かなんてわかるはずがない

確かにそうかもしれません。弁護士に限らず、誰にだって真実はわからないんでしょう。同じものを見ても、角度によって受けとらえ方が違うこともあります。それなら、自分自身の利益だけを最優先するという、古美門のような開き直った生き方もありなのかもしれません。

黛の思想は、世間一般の正義感を代表しているのでしょう。正義感は時に自分を孤立させることもあるし、人を傷つけることもある。「真実は大事だ、弱いものは助けられるべきだ、正義は勝つんだ」などという世間の常識を、古美門は嘲笑っているのではないでしょうか。

ライバル弁護士について

リーガルハイは、古美門・黛が主役ですが、裁判の相手となる弁護士や検事もたくさん出てきます。その中でも第1期の三木長一郎(生瀬勝久)弁護士は最高におもしろい。

三木は異常なまでに古美門を敵視していて、「古美門を倒すこと」が目標になっています。いや、実は黛弁護士も、後で出てくる羽生弁護士も「古美門を倒すのが目標」病に一時的にかかるので、こうなってしまうは自然なことなのかもしれません。

三木は実力がないにもかかわらず、強がっているところがおもしろい。その強がりを一点のくもりもなくまわりに見せつけるのがすばらしくこっけいです。特に、負けそうなときの強がり方が最高。

個人的には、三木弁護士にがんばってほしい(どっちの意味かは分からないけど)のだけど、第2期は残念ながら出番が減ってしまいました。その代わりに、第2期で活躍していたのが、羽生晴樹(岡田将生)弁護士。

裁判は勝ち負けが重要なのではなく、双方が幸せになる「win-win」の形こそが最高、という思想の持ち主であり、和解こそが最高だと考えています。古美門からは「ミスターウィンウィン」と呼ばれています。

サウジアラビアにはこんなことわざがあります

と言いながら指をならし、「水は飲めるが燃えはしない、石油は燃えるが飲めはしない」というような、ありそうでなさそうなことわざを言います。しかも文脈とは関係のないタイミングで、突然に。そう、ちょうど今みたいにですね。

羽生は真実に対する見方が、古美門とも黛とも違っています。羽生は「関係者全員が幸せになるにはどうすればいいか」が最優先。真実が人を傷つけるなら、それを暴かない方がいい。判決で傷つく人がいるなら、争わずに和解に持ち込んで、妥協点を探っていけばいい。そんな考え方。

しかし、古美門はこの考え方をも嘲笑います。戦うということは、お互い傷つけあって勝利を勝ち取ることだ、と。勝たなければ意味がないのだ、と。

羽生の考えが古美門と相容れないことは簡単に想像できますが、黛の考えともマッチしているわけでもありません。はじめは黛も羽生の考えに賛同しますが、「真実が人を傷つけるならそれを暴かない方がいい」という点で、黛とは相容れません。安藤貴和の事件を通じて、この考えの違いが描かれています。

「win-win」といえば、ビジネスの世界ではよく使われるワードです。ビジネスの世界では、自社と顧客、自社と取引先など、相手が自分のビジネスを支えてくれる人なので、「win-win」は大事なワードになるのだと思います。しかし、法廷の世界では、争っている両者が互いに支え合うべき存在ではないかもしれません。「win-win」である必要はありません。

古美門が羽生を批判することで、ビジネス界の「win-win」を批判しているのかもしれませんが、これはあくまでも法廷での「win-win」を批判しているだけでしょう。

被告人について

このドラマでは、基本的に毎回裁判が行われ、古美門が相手弁護士と戦いますが、もちろん原告人や被告人も出ます。その中で一番よかったのは、伊東四朗(第2期の7話)でしょう。

スタジオ小春日和というアニメスタジオ。そこで大ヒットを飛ばし続ける映画界の巨匠を演じたのが伊東四朗です。そこは、職場環境が劣悪で、賃金も低く、巨匠からの激しいパワハラもあった。これを受け、そこで働いていたスタッフが、巨匠を相手に謝罪と慰謝料を求める裁判を起こすという内容です。

普通のドラマであれば、巨匠側が謝って終わるでしょう。しかし、リーガルハイは違います。巨匠は最後、そのスタッフに自分の気持ちをこう伝えています。

私は、君に、才能があると思った事は一度もない。私の目から見たら、才能のある奴なんて1人もいない。 どいつもこいつもバカばっかりだ。

そもそも才能なんてものはな、自分で掘り起こして、作り上げるものなんだよ。

俺だって天才なんかじゃない。誰よりも必死に働き、階段を一つ一つ、踏みしめてきただけだ。振り向いたら誰もついてきてない。怠けた連中が、ふもとでこうつぶやく。「あいつは天才だから」。冗談じゃない。ゆとりで育ったのんびり屋どもが、本当に嫌いだ。俺より、時間も、体力も、感性も、ある奴が、なんで俺より怠けるんだ。だったらくれよ。無駄遣いするんだったら俺にくれ。もっともっと作りたいものがあるんだ。俺にくれ!

才能があるだけでは天才にはなりえない。才能を開花させるためには、自分で掘り起こしていかなくてはいけない。そのために天才と呼ばれている人も、必死で努力している。僕たちは、あまりに簡単に、天才を「天才」で片づけてしまっている、そのことにハッとさせられます。

もちろん、だからといって、ブラック企業のような、上記のケースが許されるというわけではありません。しかし、本当にブラックな状況なのは、世間から次々と面白い作品を出し続けることを要求されている巨匠なのではないでしょうか。「ブラック企業とは何か」について考えさせられるストーリーです。

最後に

最後に、テレビドラマ第2期の最後である、安藤貴和(小雪)の事件の話をしたいと思います。

安藤貴和の恋人が殺された事件。料理に毒が盛られ、恋人は死亡。恋人には多額の保険がかけられており、その受取人が安藤貴和であったこと、また、過去にもいろんな男をたぶらかしていたことなどから、世論は「安藤貴和が犯人に違いない」となっていました。

安藤貴和の弁護を受けた古美門は、検察の証拠を徐々に崩していきます。そして、法廷から世論を打ち消すために、次のような演説をするのです。

目撃証言も物的証拠もあやふやだけれど、安藤貴和は死刑にしましょう。過去の言動から判断して、安藤貴和は死刑にしましょう。それが民意だ。民意なら正しい。みんなが賛成しているなら正しい。

いや、そうではないだろう、と古美門は言い、次のように続けます。

本当の悪魔とは、巨大に膨れ上がった時の民意だよ。自分を善人だと信じて疑わず、薄汚い野良犬がどぶに落ちると一斉に集まって袋だたきにしてしまう、そんな善良な市民たちだ。

さらに続きます。世論がいつも正しいわけじゃない。判決を下すのは国民アンケートではない。偏見を持たず、司法の頂点に立つものとしてのプライドを持って決断してください、と。

古美門はこの後も、安藤貴和のために戦うのですが、上で挙げたシーンはとてもいいものでした。

「まわりがこう言ってるから正しい」という論理は全く根拠がありません。事実を見ずに発言する人、考えずに発言する人なんてのは山ほどいます。そんな無責任な人たちの声に、自分の考えをねじ曲げてはいけないのです。

「プロなら、世間の声に流されず、自分が正しいと思った判断をするべきだ」。これは法廷に限らず、どの世界にも通じる重要な考え方です。

さて、スペシャルではどんな演説が出てくるのでしょうか。楽しみですね。

長々と書いてしまい、お気を悪くされたかもしれませんが、所詮は金の亡者でアフィリエイトペタペタはりまくりのどぐざれブロガーの戯言です。どうかお聞き流しください。以上です。

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