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「住む世界が違う」について

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「俺とあいつでは住む世界が違う」っていうセリフを、ドラマでも日常生活でもよく耳にします。ただ、この言葉には、「片方の世界が上で、もう片方の世界が下」というような上下関係のニュアンスを含んでいるように感じるんですよね。単に「Aさんの住む世界とBさんの住む世界は、別々の世界だね、似ているところがあまりないね」という意味で言ったとしても、並列のニュアンスがあまりでないんですよね。なぜなんだろう。

別に自分の住む世界と他人の住む世界、自分の価値観と他人の価値観、自分の生活水準と他人の生活水準なんて、違っててもいいと思うんですよね。違っていて、「あ、2つは違うんですね」で終わりでいいと思うんです。その違いをピックアップして、どっちが上でどっちが下かを決める必要はないし、争う必要もないんじゃないかな。

「こっちの世界はこんなにつらいことがあるんですよ。まぁ、そっちの世界の人にはわからんでしょうけど」みたいなことを言う人もいます。自分のつらさが一番だ、と愚痴りたくなる気持ちはわかります。みんな自分の世界しか興味ありませんからね。まわりの人がそれぞれどんな世界でどんなつらさと戦っているかなんて、別に深く知りたいとは思わない人も多いはずです。しかし、実際にはつらさのない世界なんてありえません。

「俺の世界とあいつの世界では、ここが違う」と言って、目についた違いを取り上げ、それを持って「あいつは楽をしている」とか「俺の方がしんどい」みたいな議論は、不毛だと思うんですよね。違いがあり過ぎて、どちらの世界の方がいいかなんて決められないし、決める意味もありません。指摘した違いについて、「あいつを俺と同じ待遇にしろ」とか、逆に「俺をあいつと同じように扱え」というのも、的外れな発言です。

住む世界が違うのに、同じ空間にいないといけない、ということはあります。クラスが一緒とか職場が同じとか家が近いとか。住む世界の明確な違いには目が行きやすいけれども、それをもってランク付けするのは時間の無駄だと思います。「僕と君では住む世界が違うんですね、はい、おしまい」でいいんじゃないかなと思います。

(888文字)