過剰な攻撃的反応が普通を壊す
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後味の悪い話ですが、こういう話を見つけました。去年の1月の記事なので、少し前の話です。
男性は9日、「昨晩110番を利用してしまった」として8日夜の出来事を語り始めた。ツイートによると、男性は20時ごろ、小学校1~2年生くらいの子供が1人で泣きながら歩いているところを住宅街で見かけた。迷子かと思い、声をかけようとしたが、いわゆる「声かけ事案扱いされること」が頭に浮かんだ。男性は不審者扱いされるリスクを考えて声をかけることを断念し、代わりに「110番」通報をしたという。 (中略) その慎重さは徹底していて、女性オペレーターから電話口で「最寄りの交番まで連れてきてほしい」と言われると、それでは「事案」を恐れて通報している意味がないとして断った。声をかけた場合に、子供が大声をあげたり防犯ブザーを鳴らしたりする可能性も危惧していた。また、オペレーターに「せめて警察官が到着するまで、近くで見守ってあげて」と求められたが、子供の近くで立ち止まって見ていては、それこそ「不審者」として通報される可能性があるとしてこれも断ったという。 「10年前なら間違いなく声をかけて交番に連れて行ってあげたが、今は男がそんな事をしたら何を言われるかわからない」という男性は、やりとりの末「一分でも早く警察官に保護させてください」と伝えて、後味の悪さを感じながらも子供のいる現場を立ち去ったという。 全文表示 | 迷子に「どうしたの」と声かけるべきか 「不審者」扱い怖く、「110番」した実例巡り議論 : J-CASTニュース
この背景には、成人男性が見知らぬ子どもに普通に声をかけただけなのに、通報されて「声かけ事案」とされる例が増えていることにあります。ネットではよくネタとしてあがる、この「過剰反応な声かけ事案」問題。一部の人が過剰な攻撃的反応を見せ、それがテレビやネットを通じて広まってしまう。そして、それを知った他の人たちが、過剰な防御的反応をしてしまう。その結果、普通の出来事も「普通じゃないかもしれない」と思われ、誰も関与しなくなる。過剰な攻撃は、「普通」を壊してしまうんだなぁ、と思います。
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