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泣いてる迷子に声をかけるリスク

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先日の「過剰な攻撃的反応が普通を壊す」という記事で、成人男性が泣いてる迷子に声をかけようとしたが、「声かけ事案」として通報されるリスクを考えて声をかけなかった、という話を紹介しました。「この話の背景には、普通に声をかけただけなのに、通報されてしまう例が増えていることがあるんじゃないか」と書きましたが、そんな例が増えてなくても「泣いている迷子に声かけ」というのはリスクが高い気がします。

成人男性が泣いている迷子に声をかけた場合、途中からその光景を見た人にはどう映るでしょう。実際には男性が声をかける前から泣いていたのですが、途中から見た人には、声をかけてから泣いている場合と区別がつきません。つまり、「知らない男性が声をかけたから泣いているのではないか」「男性に泣かされたのではないか」と思われるリスクがあります。

声をかけていなくても、近くにいるだけでリスクはあります。子どもの泣き声は響き渡るので、やはり注目を集めてしまいます。その視線の先に、泣いている子どもと成人男性がいれば、その2人に何か関係性があるんじゃないか、と思われるのは不思議なことではありません。仮に親子だと勘違いされれば、「なぜ泣いている自分の子を放ったらかしにしているんだ」「なぜ泣き止ませようとしないんだ」「ネグレクトなのか」と思われてしまうかもしれません。

保護してもらおうと警察に連れて行こうとしたときにもリスクはあります。嫌がられた場合がかなりピンチです。まわりから見れば、「子どもが嫌がっているのに、男性が無理やり連れ去ろうとしている」と思われてしまうでしょう。子どもの泣き方によっては、「迷子を警察に連れて行くんだな」という発想にはなりにくい場合もあります。

子どもは親の言うことすら聞かない場合があるくらいなので、知らない人の言うことなんてさらに聞いてくれません。声をかけた途端、自分の制御することのできないものを抱え、まわりからの勘違いと戦いながら、任務を全うすることになります。これは、相当難易度が高いです。こういうことを考えると、泣いてる迷子に声をかけるっていうのは、ハードルが高いです。

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