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888文字のブログです

精神的な気持ちよさは、経済的には気持ちよくない

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「100%大丈夫なの?」とか「絶対間違いないんだな?」っていう確認は、たいてい意味がない。「100%大丈夫」も、「絶対間違いない」も、そんな保証ができる人なんていない。

本音で答えれば、「100%というのはあり得ないです」とか「こういう場合には問題が発生する可能性があります」とか「こんなリスクがあるので覚えておいてください」みたいな回答になるはず。しかし、こういう回答で、相手が引き下がることはない。

100%を求めることは、批判的な気持ちから来ることもある。そういう人たちに上のような本音回答をすると、「ほら見ろ、こういう問題があるじゃないか」と言ってくる。まともな人なら、この批判者のほうが変なことを言ってると理解するけど、事情に詳しくない人などが見れば、「批判されるような重要な問題をはらんでるんだな、この策はダメそうだ」などと誤解する可能性もある。それが狙いの場合もある。

また、純粋な「不安」から100%を求めてしまうこともある。「無茶なことを言っている」という自覚症状がより少ないだろうから、こっちのほうがさらにやっかいだ。100%の安全を保証してもらうまで、相手に訴え続けることもある。

そもそも100%大丈夫というのはできないし、安心度を上げるのだってタダではできない。問題やリスクへの対策を実行するには、時間も金もかかる。本来は、こうしたコストと得られる安心度を比較しないといけないだろう。誰かに「大丈夫だ」と言ってもらって安心し、精神的な気持ちよさを得たい気持ちはわかるけど、それは経済的には気持ちよくない。

「100%とは言えないから却下」という判断自体、100%正しいわけではない。見えにくいけども、その策を採用していたら得られたであろうリターンを捨てていることになる。ないものを見るのは難しいけど、これを無視することはできない。

本音だと話が進まないので「100%大丈夫」と答えてしまうケースもある。しかし、まともな人からすれば「できないことを言ってる」となるし、一度問題が起きればおとなしくしていた人たちがまたせめてくる。100%を求める人と戦うのは難しい。

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