祈りの内容
🏈
これ、わかるなー。
神に祈った後に願いが叶うと、成果の一部を神に奪われてしまうと思うんですよ。 「神様、どうか試験に合格できますように!!お願いします!!」 試験に合格する。 「神様ありがとう!!お祈りしといてよかった~!!」 ってなるじゃないですか。 でも、合格できたのはあなたの努力の成果そのものなんですよ。その合格に神の力(人知を超えた力)は一切混在してないんですよ。まさに、あなたが勝ち取った合格なんですよ。 神に祈って願いが叶うと神に努力の成果が奪われる問題 - あしみの 日記
僕は、初詣に行って合格祈願をした記憶がないんですよね。他の人が僕の合格を祈ってくれるのは、まぁ別にいいんですよ(厳密にいえば、それもあんまり要らないんだけど)。でも、自分自身の場合は、祈るよりも勉強した方がいい結果につながると思うし、合格したときには「合格したのは、自分が勉強したからだ」と思いたい。逆に、不合格だったら、それは自分の実力の足りなさを責めるべきだと思う。良い結果だったら全部自分が理由だと思う代わりに、ダメな結果でも全部自分が背負いたい。
そりゃあ、解ける問題が出てきて欲しいとか、勉強したところが出てきてほしいとは思いますけどね。僕には解けて他の人には解けない問題が出ろ! とかね(どれだけ都合がいいんだ)。でも、そのために「神様、どうか解ける問題が出てきてください! そして、どうか合格を!」と祈る気にはなれないなぁ。
家族が健康でいられますようにとか、事故が起こりませんようにとか、変なトラブルに巻き込まれませんようにとか、そういう「守ってほしい」という願いはいいと思うんだけど、合格できますようにとか、就職できますようにとか、結婚できますようにとか、商売がうまく行ってお金持ちになれますようにとか、そういう「手にしたい」という願いは、あまり適していないんじゃないかと思うんですよね。祈る内容に適する・適さない、ってのはないかもしれないけど、「ゲットしたいなら、自分で動くしかないんじゃないか」と思ってしまう。
祈っただけでなんでもかんでもゲットできるなら、いくらでも祈るんですけどね。
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