国語の答え方がまったくわかっていなかった
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これを読みました。
これは中学生相手の塾講師をやってたときの経験則ですが、「国語の出来ない子」ってのはきわめて主観的な(他からすると意味不明にも思える)”経験則”で答えを選んでしまうわけです。「答えはアと思うけど、自分が間違える問題はたいてい答えがイだからイにした」みたいな。
— 遠野九重 (@Six315) 2016年10月16日
これ、自分にも思い当たるところがります。小学生くらいのとき(下手すると中学生のときも)、国語の問題には自分の意見を書くものだと思っていた時期がありますね。すごく主観的な答えを選んでました。
「次の文を読んで、以下の問いに答えなさい」とあるじゃないですか。で、文を読むじゃないですか。で、「これはどういうことですか」とか「これはどういうことを指していますか」みたいな問題が続くじゃないですか。そこで、僕は「自分ならこう思うなぁ、こう考えるなぁ」という答えを書いていたんですね。設問の前にあった長文は、あくまでも参考文献として読んでいただけ、という認識でした。
なので、教科書の内容なら点数はとれるのですが、模試だとさっぱりだったんですね。学校の授業では、事前に「こう答えるのが正解」というのを知ることができますが、初めて読む文章に対しては自分の意見を書くしかないと思い込んでいたからです。答えが返ってきても、なぜ間違っているのか(もっといえば、なぜ合っているものもあるのか)はよくわかっていませんでした。
ただ、大学受験のころにはさすがに気づくようになり、「あれ? これってこの長文に書いてあることを使って答えればいいんじゃね?」ということがようやく理解できたんですね。時間をかけて徐々に気づいていったと思うんですけど、はっきり自覚したのは、高校3年のときにやっていたZ会で、ですね。
それまでも読めてなかったわけではなかったので、点数がダメなレベルからマシなレベルに復活しました。もっと早く気づいていれば、もっと実力が伸ばせる時間があったのになぁ、と残念な気持ちになります。
たぶん、今の時代にも、妙な思い込みのせいで、つまづいている子はいるんだろうなぁ。