死を残酷に感じるのはどこからか
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これを読みました。リンク先に写真があるので、見たくない人は見ないでください。
牛のはく製を店内につるしたオーストラリアのレストランに対し、「残酷だ」としてソーシャルメディア上で批判が巻き起こっている。 店内に牛のはく製つるした豪レストラン、「残酷」として物議醸す 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
このレストランのオーナーは、「来店客に肉がどうやって調達されているのかを思い出してもらいたかったから」ということで、牛のはく製を店内につるしたそうですが、批判の通り、たしかに残酷な感じがしますね。
しかし、これが魚だと、残酷さは弱まる気がします。マグロの解体ショーがあるくらいですからね。牛や鶏の解体ショーだったら、見る人はほとんどいないでしょう。僕なら見ません。
どういう違いから残酷かどうかが変わってくるか、というのは、感覚的なものなので説明が難しいですが、一つは「動いているところをたくさん見てるかどうか」かなぁと思います。
陸上に住んでいる動物は、動いている状態を見ることがほとんどです。生で見ることはなくても、テレビなどで動いている映像を見ますよね。なので、動いている=生きているイメージが強いんじゃないかなと思います。
陸上の生物に比べると、水の中に住んでいる動物は、死んでいる状態を見ることの割合が多いですよね。動いている状態も、水族館に行ったり、海に潜ったり、釣りをしたりしたときに見ますが、スーパーに行ったり、市場の映像を見たりして、死んでいる状態を見る機会も頻繁にあります。つまりは、慣れの問題なのかもしれません。
また、表情があるかどうか、も影響していると思います。過去に首を絞められて殺される鶏を見て、鶏肉が苦手になった人がまわりに何人かいます。牛は出荷されるときには悲しそうにする、と聞いたこともあります(育てた人の主観が入っているかもしれませんが)。苦しそうな表情、悲しそうな表情があるかが、影響してそうです。魚や植物は苦しくても鳴きません。
殺される場面や死んでいる状態から、生を想像してしまうかどうかが、残酷に感じるかどうかの境目なのかもしれませんね。