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優しさの果て

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優しく接してくれることは、ほとんどの場合、「いいこと」だ。自分のことを好意的に思ってくれる証であれば「いいこと」だし、特に好意的に思ってくれてなくても、その人は全員に対して優しくする人だ、ということであれば、それもそれでいいことだ。

基本的には、優しく接してくれることは、いい状況を表している。ただ、絶望的に残念なケースもある。「諦め」からきている場合だ。

「この人にこれ以上言っても、また忘れちゃうんだろうな」とか「説明しても、きっと理解できないだろうな」という諦めがあって、そのせいで、怒らなくなったり、口うるさく言わなくなる、そして、結果的に優しくなったように感じる。この流れはなかなかつらい。

表面的には優しくなっているので、事態は改善したように感じるかもしれない。まわりがそう感じるかもしれないし、今まで言われていた張本人がそう感じることもある。悪いままなのに、本人は「自分が成長したから優しくされるようになったんだ」という解釈をしてしまうことだってあるだろう。

よく言われることだけど、怒るのはめんどくさい。怒るのが趣味の人はそうでもないんだけど、そうじゃない人は、かなりエネルギーを使う。まわりの空気も悪くなる。怒る方、怒られる方、そのまわりの人々、三方悪しだ。なので、怒っても効果がないなら、さっさと怒ることは辞めてしまいたい。そう思うのが普通だろう。

残念ながら、目の前にある優しさが諦めから来ていることに気づくのは難しい。優しくされたら普通はうれしくなるので、そんなときにわざわざネガティブには考えられない。僕も、気付く自信はない。というか、すでにいくつかは見過ごしているだろう。

こちらからアクションをしていないのに、向こうが勝手に優しくしてくるなら、それは純粋な優しさだと思う。ただ、こちらからアクションをして、その返しが優しい場合は、もうわからない。露骨なもの以外は、スルーしちゃってるんだろうなぁ。

「優しくしてくれる=好かれている」という解釈は、二人を真逆に進ませることになるかもしれない。将来、本心が分かったときには、揺り戻しも相当大きくなってしまうだろう。

エレファントカシマシ ポニーキャニオン 2012/10/31
(888文字)