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近江アナは、もはや素人ではない

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先週末のブラタモリで、洞爺湖を見た近江アナが「素人目に見ても、すごいことが起きたとわかる」というようなことを言ってたけど、これを言っている時点で、もう素人ではないと思う。たぶん、素人なら「すごいですね」で終わるだろう。

山を見ても、湖を見ても、素人は「山があるなぁ、湖があるなぁ」で終わる。ここで終わるか、「どうして山があるんだろう、どうして湖ができたんだろう」とまで思うかは、大きな差がある。後者は地質学のスタートだし、もっと広く言えば、学問のスタートだ。

「学問」が何を指すかは人によって異なるが、「体系化された知識」を指すことが多い。ただ、その知識は、最初からどこかにまとまってあったものではない。何人もの人が、疑問に思い、考えて、調べて、ようやくたどり着いた結果を、一つ一つ集めたものだ。疑問に思わなければ、考えることはないし、調べないし、知ろうという気にもならない。仮説を作ることすらない。疑問に思っても、めんどくさくなってやめてしまうことはあるけど、そもそも疑問に思わなければ、何も始まらない。その点で、「問いがある」ということは、とても大事なことだと言える。

「学問」という文字に、「問」という字が使われているのは重要なポイントだ。「問うて学び、学んで問う」のが、まさしく学問だと思う。教科書をただ読んでいるだけだと、答えを学ぶことが学問のように思えてくるけど、それは誤解だ。それでは学問は発展していかない。問いは、人の「学ぶ」意欲を掻き立て、学問の発展の起爆剤となる。

冒頭の「すごいことが起きた」というのは、「どうして洞爺湖ができたのだろう」という問いに対する答えだ。全然具体的な内容ではないけれど、問いが想定されていることが重要だ。以前は、質問されて、「そんなこと、考えたこともなかった」と答えることはあった。問いも答えも外部に用意されている状態と、問いを持っている状態では、吸収の仕方も大きく違うだろう。こうなると、素人ではなく、初学者と言うほうがしっくりくる。本人はそういうつもりはないかもしれないが、初学者の態度が身についてきた、と言えるのではないだろうか。

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