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なぜ疑問形タイトルの記事に答えを求めてしまうのか?

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疑問形タイトルとは、この記事のように「なぜ○○なのか?」「なぜ△△は××なのか?」といったものです。こうしたタイトルがついたブログやネット上の記事を読むとき、僕は答えが書かれていると期待して読み始めます。そして、そこにもし答えがなければ、「答えが書かれていない」と感じてしまいます。

はてブでも同様の記事に「答えが書いてない」とコメントしている人を見かけるくらいなので、僕だけが感じていることではないのでしょう。

一方、自分が記事を書くサイドになって考えてみると、疑問形タイトルの記事に必ず答えを書くか、というと、そうでもなかったりします。というのも、「これってなんでこうなってるんだろうなぁ」という疑問そのものが記事になることもある、と考えているからです。自分はこれを疑問に思うんだけど、みんなはどう? とか、これってみんな疑問だと思ってないけど、あえて疑ってみるのはどう? みたいな投げかけも記事として成立すると思うんですよね。

では、なぜ他の人が書いた疑問形タイトルの記事に答えを探してしまうかというと、新書が原因かもしれません。

新書での売り方として、自分の言いたいことをそのままタイトルにするんじゃなくて、わざと疑問形にしたほうが売れるみたいな法則というか手法があるじゃないですか。例えば、おいしいカレーの作り方の本を出すぞ、となったとき、「おいしいカレーの作り方」というタイトルでは目立たないけど、「なぜおいしいカレーには○○が入っているのか?」とか「なぜあなたのカレーはいつまでもマズいのか?」(煽り過ぎかな)などとすれば、答えが気になって本を手にしてしまう。こういう作戦です。

この手法が頻繁に使われているせいで、逆に、疑問形タイトルには、言いたいこと=答えがある、むしろ、言いたいこと=答えがあって、そこから疑問形タイトルが付けられている、という発想が自然と出てくるようになってしまったんじゃないかな、と。そして、それが、ネットの記事を読むときにも出てきてしまっている。そういう気がします。

書くサイドからすると、答えのない疑問形タイトルの記事も書きたいんですけどねぇ。

(888文字)