小説と神様目線
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こういう意味での「お客様は神様」っていうのは、初めて見たなぁ。
今のアニメーションのお客さんは、これはアニメーションに限るのかどうかわからないけれど、物語を全部見終わったときに、登場人物の素性などがすべて露わになってないと納得しない人が多い。だから物語の作り方も、神様が天上から登場人物を見ているような、お客さんは神様の視点になって登場人物や物語構造のすべてを把握できるような、そんな作り方が喜ばれたりするんです 「一行」の明快な指示より「迷いなさいよ」がうれしい:日経ビジネスオンライン
これは僕も心当たりがある。小説を読み終わったときに、すべての謎は解明していてほしいという気持ちが、僕にはある。なので、推理小説は読みやすい。事件が起こって、それが最終的に解決される、というのがわかっているから。事件を起こした犯人の心理的背景に納得できないことはあっても、それがまるっきり書かれていないことは少ない。トリックも最終的には解明されるし、「ここの謎はこういうことだったんですよ」というのが後からわかると、とてもスッキリする。むしろ、その「スッキリ」を求めるために読んでいるとも言える。スッキリだまされたい、という気持ちすらある。
一方で、例えば、村上春樹の「1Q84」や「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」などを読むと、謎は謎のまま終わるし、不思議なことは「あれは本当に不思議でしたね」って感じで終わる。個人的には、ここがモヤモヤしてしまう。
まぁ、わからないところ、謎なところについて、「彼はこういうことを考えていたのではないか」とか「この不思議な現象はこういう気持ちを象徴していたのではないか」と考えることが面白いんじゃないか、全部語ってしまってはダメだろう、という意見もあると思う。そういう楽しみ方があることは理解できるけど、個人的には「解明されなかった謎」に対するモヤモヤが大きすぎて、あんまり読みたいという気持ちになれない。
現実世界で「すべてのことがわかる」ことはない。なので、逆に「空想の世界くらい、分からせてよ」という気持ちもある。確かにこれは、神様目線だと思う。
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