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おあとがよろしいようで、の意味を勘違いしていた

😜

「おあとがよろしいようで」っていうのは、落語家が自分の演目の最後にいう言葉、というのは知っていたんですけども、どういう意味かまでは深く考えていませんでした。まぁ、知ってると言っても、寄席に行ったこともないので、誰かから聞いたかテレビで見たかで知ってるだけなんですけどもね。意味については、まったく勘違いしていました。この「おあとがよろしいようで」というのはあいさつみたいなもので、最後に言う形式なものなんだと思っていました。

ちなみにどう勘違いしていたかというと、「おあと」は「オチを言った後」のことだと思っていたんですよね。落語って、一番最後にオチを言いますよね。そのオチを言った後の空気がよかったですね、ちょうどいいところなんでもう帰りますね、という意味だと思ってたんですよね。おあとっていうのは、落語を聞き終えたみんなの「後味」を指していると思っていたんです。

オチを言ったけどあんまりウケなかった、そういうときもありますよね。そんなときは、「ウケて後味がいいところで帰りますね」っていうのを、かなりの自虐ネタとして言ってたんじゃないかな、と考えていたんですよね。「あんまりできがよくなかったけど、できがよかったってことにして帰りますね」っていう。

で、本当のところはどういう意味だったかというと、「おあと」というのは、「後の人」、つまり、次に出てくる落語家のことを指していたんですね。「よろしい」というのは、「準備がいい」ということ。あわせると、「次の人の準備が整ったから、私はもう帰りますね」ってことだったみたいです。

この「よろしい」というのを、「良い」という意味で使っている人もいるようです。「次に出てくる人はもっと良いようですよ」と、自分は謙遜して次の人にバトンを渡すということですね。

自分も、話のオチを言った後に「おあとがよろしいようで」って言ったことがあったんだけど、意味があんまり分かってなかった、というか、誤解したまま使ってましたね。結果的に、この誤解は致命的なミスにはつながらなかったけど、誤解したまま使っちゃうと命取りになることもあるし。気をつけなければ。

(888文字)

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