無い内定とオーバーエデュケーション
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これを読みました。
大卒の価値が徐々に低下する日本社会 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
そりゃあ大卒の価値は下がるよなぁ、あんなに大学が多ければ希少価値なんてなくなるでしょ。これが、タイトルを読んだ時点での感想です。
希少価値については、大卒に限らず、難関大学でも言えることです。東大も京大も毎年3000人くらいずつ卒業していくので、世の中の難関大卒者はどんどん増えていきます。一方、そういう人たちは企業の重役や政界に長くいて、なかなか退出していきません。そのため、難関大学でさえも、希少価値はなくなっていってるのでしょう。「学歴社会の崩壊」は、「無名大学でも有名企業に就職できるようになった」ではなく、「難関大学を出ても有名企業に就職できるとはかぎらなくなった」という流れの方を言ってるのだと思います。
ただ、上の記事を読んでいて気になったのは、こういう見方もあるのか、という点。記事のサブタイトルが、それを端的に示しています。
高い学歴に見合った仕事が少ない「オーバーエデュケーション」の時代
僕は今まで、「大卒のレベルが下がっているから、就職できない人たちがいるのだ」と思っていました。昔なら大学に行けなかったレベルの人が、大学が増加してレベルの低い大学が増えたことで、進学できるようになった、しかし、その大卒カードには、昔ほどの価値はないのだ、と。だから、就職できない人がいるのだと思っていました。
しかし、上の記事では、「オーバーエデュケーション」の問題が指摘されていました。「オーバーエデュケーション」とは、その仕事に必要な能力に比べて、自分の能力の方が高いということです。上で指摘されているのは、大学を出ていないとできないような高度な仕事が少ない、という問題です。だから、大卒者で少ない椅子を取り合うことになり、あふれてしまう人が出てくる、と。
どちらにしろ、結局は「大卒者が多すぎる」ということですが、「難しい仕事が少ない」という点は、あまり意識したことがありませんでした。IT化が進めば、この傾向はさらに強まっていくんでしょうね。