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消費にメリハリがついてきたということ

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「田舎ではみんな『○○で充分』と言っている」という内容の話。

田舎に帰ったら変な宗教というか心情が蔓延していた件

僕は今東京に住んでるけど、僕も「○○で充分」と思うことは多い。

「○○で充分」というのは、人によっては「ほんとはもっと上のランクを目指したいけど無理なので、低いレベルで我慢する」というあきらめの意味で使うこともあると思う。バブル世代の人が「今の若者は欲がない」と言うのは、若者が我慢していると考えているからだと思う。でも、本当は「あきらめ」の意味以外もある。

それは、「消費にメリハリがついてきた」ということ。つまり、「こだわるところはこだわる、こだわらなくていいところはこだわらない」という考え。

バブル時は、モノのランクアップをみんなで目指していた。いい家、いい車、いい食事、いい服。どんどん高いモノを目指していった。それがバブル後は節約節約で、どんどん持ち物のレベルを下げていった。

でも、2000年以降くらいから、安くても品質のいいものが増えたり、給料も下げ止まったりしてきた。こうした中、再び持ち物のレベルを上げていく人もいるけれど、もっと理性的にモノを持とうとする人が増えてきたんだと思う。

品質がよければ安くてもいいじゃないか、そもそも全てのモノに高い金を払う必要はないんじゃないか。これは、負け惜しみじゃない。理性が身について、無駄遣いしなくなったということ。見栄のための消費に疑問を抱いているんだと思う。

安いもので事足りるなら安いものですますが、熱中したいものには集中してお金を使う。こういうお金の使い方になってきてるのではないだろうか。

僕も、住居費は高いけど、他は贅沢してない。服はユニクロで十分だし、車は持たなくてもいいと思ってる。

高いものを消費できなくて我慢しているというよりは、消費にメリハリがついてきたということだと思う。バブル経験者からは、すべての持ち物のレベルを上げないというのが理解できないかもしれない。しかし、新しいバブルが来ないと、そうはなることはないだろう。景気が少しよくなるくらいでは、見栄の消費が増えるような状況には戻らないと思う。

(888文字)