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【書評】火花

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又吉直樹「火花」。ある若手お笑い芸人・徳永が、師と仰ぐ先輩芸人・神谷と出会い、笑いについて日々議論する。徳永は、自分の笑いに対するスタンスや、芸人や社会人としての生き方について、不安や悩みを抱えつつも、もがきながら生きていくというストーリー。主に、徳永と神谷のやりとりがメイン。

状況に合わせて自分の行動を変えていったほうがいいのか、それとも、自分の信念を貫いて自分の行動を変えないほうがいいのか。徳永は環境に合わせようとする意思はあるものの、不器用なためにそれができない。一方、神谷は自分の信念を貫いて、行動している。成功しているわけではないので、世間的には神谷も「不器用だ」と判断されるだろう。しかし、徳永にとってこの神谷の不器用さは、自分のとは異なると感じていたに違いない。親近感を抱きつつ、憧れの感情も抱くのは、この同質のようで異質な「不器用さ」から来るのだと思う。

一般的な小説であれば、誰かの憧れになるような人物は、その人そのものに何かしらの魅力があるものだ。だが、ここで憧れの対象になっている先輩は、別にお笑い芸人として売れているわけでもなく、ヒモのような生活、借金まみれの生活をしており、魅力的な要素はほとんどない。しかし、この小説でいう「憧れ」とは、そもそも対象が違うのではないか。人物そのものよりも、生き方への憧れ、つまり、優先順位として、自分の信念を一番上に持ってこれる生き方に憧れていたのではないか、と思う。

小説全体を通じて思ったのは、テキストでお笑いを取り上げなかったほうがよかったのではないか、という点。テキストにすると、どうしても面白さが伝わりにくくなってしまう。言葉だけでなく、言い方や声の調子、身振り手振りなどが加わってはじめて面白くなる。テキストにしてしまうと、どこか冷めてしまう。

取材をしなくていいので、お笑い芸人としては書きやすい舞台というのはわかる。また、人物の設定も身の回りにヒントがたくさんあって書きやすいというのもわかる。しかし、テキストにすると面白さが減退してしまうので、お笑い芸人以外がメインで登場する小説も読んでみたいと思う。

直樹, 又吉 文藝春秋 2017/02/10
(888文字)

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