「外国人が作ったものだから憲法変えなくちゃ」って理由はおかしくない?
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憲法を変える変えないの話をしている時に、「アメリカ政府により起草された憲法だから、変えないといけない」とか「何十年間一度も変えていないから変えるべき」みたいな理由を言う人がいます。そう言いたくなる気持ちはわかるんですが、憲法変更において一番初めの理由にそれらが出てくるのはおかしいですよね。
自分以外の人が自分のルールを決めた場合、普通は不利なルールを突きつけられることになります。その場合は、変更の議論が出てきて当然です。「お前は殴ってはいけない」っていうルールを相手が言ってきて、さらに「君が泣くまで殴るのをやめないッ!」って殴ってきたとしたら、「あいつらが勝手に決めた、あのルールはおかしい。変えるべきだ」ってなると思うんですよね。なので、自分以外の人が決めたルールは変えるべきだ、という発想になるのはわかります。
しかし、こっちに不利なルールでないなら、別に誰が作ったものか、いつ作ったものかは関係ない気がするんですよね。あくまでも、中身で判断すべきですよね。
誰がいつ作った、というのは変更するときのサブ的な理由になるかもしれませんが、メインにはならないと思います。また、それが変更時の一番目の理由にくるというのはおかしい気がします。
ここで言いたいのは、憲法を変えた方がいいと思っている人に「変える必要なし」と言いたい、ということではありません。変えた方がいいと思っているなら、「いつだれが作ったものか」ではなく、内容についてまず話すべきでしょ、ということです。
「この憲法のせいで、他国にいいようにやられている」「他国との情勢が時間とともに変わってきているので、憲法の内容が適切でなくなってきている」などの理由がはじめに来れば、それらを検証の上、憲法改正を検討した方がよさそうだと進んでいきます。「そういうことなら、変えた方がいいかもしれません。で、どう変えますか? 変えたら問題は解決しますか? 変えたときの他国等への影響は?」と、議論が進んでいきますよね。
内容を考える、って普通のことだと思いますが、変な理屈から言い出す人がいるなぁと感じることが少なくないんですよね。